飯久保廣嗣 Blog

ニュースとEM法

本日は、筆者の自己宣伝をさせていただきたいと思います。それは、日本経済新聞社より、本年9月8日発刊で『組織で使える論理思考力』という本を出版するということです。

本書の「はじめに」から引用します。

「最近、新聞や雑誌、書籍などで、「論理思考」に関する記述やタイトルがあまり見られなくなった。日本の組織・社会でものごとの筋道を立てて考えることに、人々が関心を持たなくなった証左ではないだろうか。長きにわたり論理思考の普及指導に携わってきた者として、大いに憂うべき状況である。」

「論理思考における思考の手順には深い意味があり、その意味を理解することが、本来の論理武装の本質なのである。そして論理思考の技術を身につければ、どのような局面でも、たとえば不合理がまかり通る組織の内部でも、十分に活用することが可能なのだ。」

「グローバル化が進む時代においては、むしろ論理思考の重要性はますます高まる。日本でのみ有効に通用していた日本人の「思考様式」は非効率的なため、世界では通用しない。組織が抱える不合理性というものをものりこえて応用可能な思考技術について、皆さんと考えてまいりたい。」

できるだけ多くの人に読んでいただくために、手ごろな本にしました。価格も本体定価が850円です。組織の論理と個人の論理にどう折り合いを付けるか。直線的な論理思考を超えて、真に役に立つ「頭の使い方」を、自身の経験に基づく事例を交えて書いたものです。

次回から数回にわたり、本書から引用して、参考になるような内容をこのブログで発信します。

本日(7月9日)のラジオ放送で、「麻生総理が米国オバマ大統領と30分の首脳会談をした」と報道された。そのこと事態はニュースに値するが、両首脳がなぜ会談したかという背景をどうしても考えてしまう。

米国側は上記報道の中身からみて、日本側の顔をつぶさないために、会談を持ったのではないかと思われて仕方ない。なぜならば、ラジオ放送によると、両首脳は、「北朝鮮に対する日米の確固たる抗議の姿勢の確認」、「地球温暖化に対する日米の協力の確認」の2項目について合意を得たと報道されているからだ。

あまり言いたくはないが、両首脳の合意項目はどれほどの意味があるのだろうか、と考えてしまう。私が、麻生総理が言ってほしかったことは、「オバマ大統領が抱えている大きな問題に対して、日本政府もできるだけの協力をする用意がある」ということである。

例えば……

◇核拡散防止の国際協力に、唯一の被爆国である日本が応分の役割を果たす用意がある。
◇世界同時経済危機に対し、継続した両国の協調を維持する。
◇アフガニスタンに対し、日本国は戦争状態の収束を図るために最大限の外交努力をする。
◇途上国の人材開発・育成に日本は積極的な具体案を提示する用意がある。
◇中国対応について米国と日本は共通のアジェンダを設定する。
◇アジアにおける経済発展の日本の役割を明確にし、それを実行する。

など、発信するテーマはいくらでもあったのではないか。

このことを考えると、麻生総理が、オバマ大統領に会った目的は何かと思ってしまう。単なる自己アピールと、自民党の外交手腕に関する広報活動に過ぎないのではないか。そのあたりを、メディアがぜひ取り上げて、本質を論じてほしいものだ。

重工業大手のある工場では、工作機を専門に製造していた。この工場では、7、8台の工作機の組立てを、同時進行で進めている。目下の課題として、輸出向け大型縦型旋盤の製造コストダウンが挙げられていた。

数多くあるコストダウン課題の中で、最も優先度の高いものは、旋盤の台に設置する縦型コラム(工作機械を構成する柱のこと)に関することだった。それはコラムを設置した際に、水平度が設計通りにならないため、そのコラムを取り外し、再加工するという事態が突発的に発生していたということである。この再加工には、数日を必要とし、製造コスト上昇の大きな要因だった。

そこで、この会社は、「大型旋盤のコストダウンに関する改善」を課題として設定した。プロジェクトチームが発足し、問題を起こした旋盤に関するデータが収集され、あらゆる分析を試みられたが、明確な原因を究明することはできなかった。有効な改善策が見出せず、「できるだけ慎重に作業に当たる」といった、漠然とした指示しか出せずにいた。

筆者は、この工場でラショナル思考に関する研修とコンサルティングを実施したのである。その際に、実際に今起きている問題として扱ったのが上記の事例だった。

研修では早速問題解決に取り掛かった。第一の作業は、問題を起こした複数の「大型旋盤」の中で直近の事例をピックアップすることである。つまり、原因究明をする対象を具体的に絞ることであった。その結果、分析対象は「東欧の○○会社向けの旋盤」となった。

そして、その旋盤に対し、ラショナル思考を適用して主な分析結果を試みた。以下に説明したい。

1.問題を起こしている対象は、「東欧の○○会社向けの旋盤」であり、同じ設計の「カナダの△△会社向けの旋盤」には問題が起きていなかった。

2.問題現象は「コラムの設置時の水平度が出ない」であり、その他のコラムに関する問題は発生していなかった。

3.この問題が発生した時期は、「春から夏の時期」であり、「秋から冬の時期」には発生していなかった。

4.分析の着眼点は、「東欧の○○会社向けの旋盤」であり、同じ設計の「カナダの△△会社向けの旋盤」ではない、という一対の事実を重点的に分析することであった。何故ならば、何らかの違いがなければ、一方だけに問題が起きるという現象を説明することができないからだ。

5.上記4の結果、設計、作業工程、作業環境、作業員の熟練度などを比較したが、違いは出てこなかった。しかし、何かの違いがなければ、論理的にこの現象を説明できない。そこで、筆者は、「何らかの違いがあるはず」と、何度も設計・製造担当者に質問を繰り返した。だが、何も出てこないので、資材担当者に対して、「コラムの素材の保管状況に違いがないか」と質問した。
その結果、購買担当者は「東欧○○会社向けは、素材を横に倒して保管していたが、カナダ△△会社向けは縦に立てて保管していた」との回答を得た。

6.上記5の事実と、3の夏の高温状態の組み合わせにより、素材に微妙な変化が起きたことが推定された。そこで、本件の真の原因は、「素材の保管状態が不適切だった」ということが明確になった。

結論をいうと、このように、原因を究明する思考プロセスの基本を習得し、忠実に実践することにより、効率的に原因を究明することができるのである。ちなみに、この分析に使用した時間は、わずか2時間だった。

今回は、論理的思考のケーススタディとして、筆者が実際に関った、米国の中西部に本社を持つ製薬会社で発生した事故とそれへの対応の実例を紹介したい。少々長くなるが、最後までお付き合いいただきたい。

この会社の当時の状況は、高い開発力を持つと同時に、社員を大切にする伝統があり、多くの幹部社員は生え抜きであった。社員第一主義である一例を示そう。筆者が講師を務めた「幹部社員向け問題解決の研修」の会場には、役員が頻繁に使うロッジ付きの会議場施設が充てられていた。このようなことは極めて稀なことであり、筆者は非常に感銘を受けた。

この時のセミナーには、主要事業部の営業部長をはじめ21名が参加していた。しかし、初日の昼食後から営業部長が頻繁に退室をし、グループ全体に落ち着きがなくなった。

原因は、この事業部の主力製品に対し、重要顧客から製品の副作用に関するクレームが発生したことにあった。この営業部長は、部下と協議の結果、当該ロットにより生産された全製品のリコールをすることを決定した。そして、この営業部長は、部下に指示を与えるため幾度も退席をしていたのだった。

そこで、講師であった筆者は、会場で学習中の論理的な原因究明の手法を適用することを提案した。だが、すぐには採用されなかった。しかし、セミナー終了後の午後8時半にこの営業部長と開発部長を説得し、論理的な考え方を適用し体系的に原因究明を展開することの承諾を得た。

ただし、営業部長や開発部長は、当初、製薬関係に全くの素人である筆者が、原因究明の考え方のプロセスだけで、その原因を短時間で究明する作業を展開することに、大きな不安を持っていた。

筆者はこの不安を払拭する自信があった。何故なら、筆者の胸には、恩師であり友人であるC.H.Kepnerが与えてくれた言葉が常にあったからだ。その言葉とは、

「論理的かつ体系的な思考の枠組みに、忠実にしかも現実的に常識を持って問題を分析すれば、必ず成功裏に正しい回答が出る」

というものだった。

半信半疑でこの分析に加わった営業部長以下関係者は分析が進行するに従って真剣になってきた。筆者は、論理的な思考プロセスの枠組みを忠実に実践的に解釈し、当該問題の原因を究明するために必要な情報を収集する質問を繰り返していたに過ぎない。その結果、専門的な内容の情報が質問の回答として分析シートに記述されていった。

大きなハードルは営業部長が今回の問題の原因は製品に使用されたロットに原因があると決め付けていたことである。分析の目的はこの仮説が正しいかどうかを検証するともに、新たな真の原因を究明することにあった。この場合の「検証する」という作業は、同じロットを使用した製品で他の病院で問題現象が発生していないことを証明することである。

確認する項目は5項目であり、「何が」、「どうした」、「いつ」、「どこで」、「どの程度」である。それと同時に、問題現象が発生していない製品や現象などについても、情報を収集することが必要となる。

その結果以下のような情報が整理された。

「何が」に対しては、「『Aロット』であり、『Bロット』ではない」。
「どうした」に対しては、「副作用であって、製品そのものの欠陥ではない」
「いつ」に対しては、「○年○月○日であって、それ以前ではない」
「どこで」に対しては、「○○市の○○病院であり、○○市の△△病院ではない」
「どこで」の詳細について、「○○外科病棟であり、△△外科病棟ではない」
「どの程度」に対しては、「1件であり、複数ではない」

上記の分析から、もしロットが原因であれば、「どこで」に対して、説明がつかない。また、△△病院から問題が発生していないことが説明できない。△△外科病棟から問題が発生していないことも同様である。

この分析結果から得られる結論は、「ロットが原因でない」ということである。従って、全製品のリコールという処置は、不適切ということになる。しかし、これでは、分析が完結したとはいえない。そこで、次の分析は、○○外科病棟の当該薬品の使い方と、△△外科病棟のそれと比較して、どのような特徴があるか、調べることである。

その結果、事実として確認されたことは、数日前に、婦長が交代し、その結果、投与される薬品の組み合わせが変更されたということである。従って、この「薬品の組み合わせの変更」が原因ということが想定できた。

営業部長は、翌朝、当該病院に連絡を入れ、薬品の組み合わせを元に戻すと同時に、患者に対しては、副作用を解消する処置をすることによって、問題が解決されたのである。

筆者の自宅の近所に瀟洒なイタリアンレストランが開店した。好奇心から、1ヶ月ほど前、足を運んでみた。料理の味は合格。支配人やシェフ、その他スタッフは友好的で、店には好感を覚えた。またそのときに、支配人との会話の中で、小生のブログの話が出た。

つい、先日もこの店を訪れた。すると、支配人が小生のブログに対し、読後の感想をひと言いった。それは「なんだかわからない」というものだった。支配人曰く、「ブログは日記である」と。調べてみると、ブログは「ウェブログ」の略であり、ウェブや「インターネット」、ログは「航海日誌」を意味する。従って、この支配人は小生のブログを日記であるという期待を持って読み、難しいことが書かれていたことに、違和感を覚えたのだろう。

そこで、今回はこの店が将来更なる発展を遂げるために、どのような発想を持てばよいかを、論理的分析を用いて、解説してみたい。

第1に、スタッフ全員による問題意識や懸案事項の一覧を作ることである。この際ポイントは、解決策や結論を論ずるのではなく、「何をしなければいけないか」、「何が問題になっているか」といった認識を紙に書き出し、共有することである。その中から、支配人が経験とカンをもとに、「何を最初にやるべきか」を判断し、全員の合意を得ることになる。

第2に、同じエリアのより繁盛している店と比較して、何が違うかを支配人自ら観察し、当店の改善項目を明らかにすることである。例えば、店名の表示方法、最寄の繁華街におけるPRの方法、店内のインテリア、レイアウトの違いの認識、女性スタッフの有無、マーケティングツール(印刷物等)の違い、などが挙げられる。これらに対して、どのような改善ができるかを検討するのである。ポイントは、比較する店が適切なものでなければならないということである。

第3に、当店の特徴、強みの再認識である。つまり、「当店はひと言でいうと、こういう店です」というキャッチコピーを作るのである。その際は、このキャッチコピーを決定する前に、「このコピーに決めた場合、どんなマイナスがあるだろう」と、考えることがポイントとなる。とんだ落とし穴があるかもわからないからである。例えば、「他店が類似のコピーを使っている」などだ。

第4は、リピート客確保を大々的に展開することである。当店は、初めて来店したディナーの客に対し、朝食用のお土産としてロールパンのサンドイッチを無料で提供している。これ事態、非常に客から見れば魅力あるサービスだ。こうしたことを、よりPRすれば集客につながるのではないか。またどうせなら、お土産を渡すときに、記帳してもらう洒落たノートを用意してはどうだろうか。サービス券を発行するのも一つの方法かもしれない。

第5は、このような努力をしたにも関わらず、結果がでない場合にどうするかを、予め検討しておくことである。簡単に言えば、第2、第3の手を考えておくということだ。

第6に、行動を起こすときに「何のために、どのような目的があって、その行動を起こすか」という、意識を持つことである。例えば、「お土産を出す目的は何か」、「朝5時まで営業する目的は何か」といったことである。

現実を見て、比較をして、目的意識を持って改善策を実施し、起こり得るマイナス現象に対して準備をするために、2次、3次の手を考えておく。これは論理思考の初歩中の初歩といえる。論理思考は身近な問題にも応用可能なのである。

どうでしょう、参考になりましたか? ぜひ次回うかがったときに、今回のブログの感想を聞かせてもらえればと思う。

人間はモノを決めるときに手段に短絡する習性がある。多くの場合はこれで問題なく社会生活を円滑に送ることができる。「昼食を何にするか」、「どこに遊びに行くか」、「何時に就寝するか」、などの判断は直感的であり、深く考える必要はない。しかし、テーマによっては、「何のために?」という目的を、深く考える必要がある場合もある。

目的と手段を混同すると、堂々巡りが始まり混乱や対立を招く。じっくりと目的を考えてから、最適な方法や手段を選ぶことが合理的な場合もあるのだ。

確かに、目的を意識しないで手段の上達に邁進する場合もあるが、その結果、多くのムダを生むこともある。その代表的な例が「ビジネス英会話」の学習であると思う。その真の目的は何だろうか。「外国人との英語による意思疎通を円滑にすることがビジネス英会話を学習する目的」と思っている人が多いことに驚く。

ビジネス英会話の学習の目的が、このような生易しい発想では上達はおぼつかない。そこで、何のためのビジネス英会話かを明確にしたい。ある人は、「それはコミュニケーションのためである」という。また、「英語は国際ビジネス用語であるから」ともいう。「これからの国際化時代の重要な条件であるから」という人もいるだろう。しかし、このような曖昧なことでよいのだろうか。

筆者の恩師(故人・米国人)はあるとき、人間が最も生き生きと活動していくためには5つの条件が必要であると言った。それは、Purpose(目的)、Perspective(将来の見通しや展望)、Increasing Skill(自分の諸スキルの強化)、Joy(悦び・満足感)、そして、Sense of Belonging(帰属本能が満足されている)であると教えてくれた。

これを、ビシネス英会話の学習に当てはめて見るとどうなるか。その第1としての目的は「問題解決の真剣勝負に勝つためのである」といえよう。ある人は、ビジネスとは「平和時における戦争の形態」とまで言い切っている。ビジネス戦争に勝つために有効な武装が英語力であるという認識を持つことが重要で、それが目的の1つとなる。

第2のPerspectiveであるが、これは「現在の自分の実力から出発した学習計画」ということができる。英会話はヒアリングからという考えがあるが、日本人にとって必要なことは「発信する」、「発言する力を強化する」ことではないか。ヒアリングで理解できないことがあれば、質問をして確認することができる。肝心な事は、今の自身の実力レベルでできることを完全にものにすることである。中学や高校の英語の教科書をつかえることなく、スムーズに読める人が果たして何人いるだろう。これができるだけでも発信に自信が付く。Perspectiveは現実的なところから始めるべきである。

第3のIncreasing Skill とは、「自身が立てた目的に対しての進捗度を確認すること」であり、それが次の第4にあたるJoyに繋がる。Joyは単なるHappinessではなく、努力の後にある満足感のことかもしれない。最後のSense of Belongingは帰属本能であり、英会話の場合、「話をする相手を持つ」ということである。英語を使う相手を、英語を母国語とする人に限定することは誤った先入観である。アジアの人たちとも大いに語らったらよい。

結論的にいえば、ビジネス人にとっての英会話学習目的は、英語によるコミュニケーション力をつけることや漠然とした願望というものではない。厳しい国際ビジネス戦争に打ち勝つための問題解決を有利に展開するための不可欠な武装であるという認識が、まず必要である。そして、英会話力のもう1つの側面は、相手に質問をすることである。そして、できれば問題解決のための論理武装を背景とした質問力まで身に付けることが本当の目的ではないだろうか。

これまでに私は日本の意思決定の精度について、意見を述べてきた。意思決定の迅速性に関しては、日本は改善の余地があると考える。一方で、米国の意思決定の精度(質)は、最近の金融市場の混乱を見ると、疑問を持たざるを得ない。つまり、これはグローバルな問題になってきているといえる。

その本質は、「意思決定の品質のマネジメントをどのようにコントロールしていくか」ということである。意思決定では「ある案件に対して複数の選択肢から最適な案を選ぶ」という冷静なアプローチが必要である。それにも関わらず、グローバルなイシューに対して、方法に短絡をする傾向がより強まっている。

これも、正確な情報にのっとった短絡ならば許されるのかもしれない。だが、不確定情報や捏造情報を基にした意思決定への短絡は大きな災いをもたらす。その例の1つが、ジョージ・W・ブッシュのイラク攻撃だろう。

場合によっては、経験やカンを基に即座に意思決定することも必要だが、その際には必ずマイナス要因の分析を怠らないことが条件となる。例えば、イラク攻撃では、「当時のホワイトハウスに入る情報が不正確だった場合のコンセクエンス」、「そのコンセクエンスからくるマイナス」、「軍隊を出動した場合の長期泥沼化の可能性」、「現地の対米感情の悪化の可能性」など、枚挙に暇はない。

このような発想でマイナス要因を分析していたならば、素人の意見ではあるが、別の選択肢があったのかもしれない。これが意思決定の品質のマネジメントの効果なのである。

わが国が国際社会において、イニシアチブを取る場面はあまり見られない。しかし、新総理が各国に対して独自の提案をする場合には、意思決定の品質のマネジメントを充分に考えてもらいたいものだ。

2008年10月23日付けの日経新聞朝刊のトップ面に、医療問題についての記事があった。これは医療事故に関する調査方法が迷走しているといった内容である。その中の一部を引用したい。

厚生労働省医療安全推進室長の佐原康之(44)は「日本の医療制度は医療事故があることを前提に設計していなかった」と認める。

この引用からは、日本人の思考様式の欠陥が如実に現れている。それにも関わらず、読者も記者も事の重大性に気が付いていないように思える。

「医療事故があることを前提に設計していなかった」ということは、次の3つの重大な思考上の欠陥を生む。

第1に、「もし事故が起きた場合に、隠蔽せざるを得ない」という、組織の隠蔽体質を醸成してしまう。

第2に、「発覚したときに、組織の防衛のために、組織ぐるみで徹底的な否定に走る」という現象を起こす。

第3は、「再発防止の方策が、中途半端なものになる」。これは、事故の真の原因を追究する姿勢が薄いために起こる。

例えば、自分の子供が期末試験を受ける際に、親が「絶対に及第点を取れるね」と子供に確認したとする。これは「事故が起きない」ということを前提としていることと等しい。もし及第点を取れなければ、子供は成績表を隠す。隠し通せなければ、理由をつけて自分の非を認めない。そうなると、「なぜ及第点が取れなかったか」という分析よりも感情的に「追試験はがんばりなさい」と念押しすることになり、おそらく本当の問題が未解決のままとなるだろう。

これは、「日本人の完ぺき主義」、「ミスを認めることを恥とする文化」、「敗者復活の発想が薄いこと」などが背景にある。まずこのような思考様式の特質を認識することから始める必要がある。特に、政策や法律を作る中央官僚や政治家に、強く認識を持ってもらいたいものだ。

「問題は起こり得る」という前提から諸対策を講じていくほうが合理的であり、抜け漏れが防止でき、発生時の対応が容易になる。このことは、企業においても問題点を予め想定することにより、陰湿な内部告発的な動きを防ぐことにもつながる。告発する内容が予め想定されていれば、もし発生しても告発する必要性はなくなる。つまり、「このような問題が起きるかもしれない」とガラス張りにし、予め対策を練っておけば、問題発生時にその対策を実施すればいいだけの話ではないだろうか。

無論、実態は問題が錯綜し、複雑化するのが現実だろう。しかし、このような発想法を意識していれば、問題解決や意思決定のコスト削減につながるのではないか。

最近、「抜本的な見直し」という表現が目立つ。特に政治や行政の世界では、この言葉を聞く機会が多い。民間企業の意思決定であまり使われない表現だ。

だが、民間企業でも「見直し」という表現は使われる。「見直し」の本質的な意味は、「いったん決定され、実行されたことに何らかの問題が発生し、このことを修正するために、対策を考え、行動する」ということになる。

目に見える製品であれば、この見直しは「設計の変更」ということであり、部品の交換などが考えられる。事態が深刻であれば、リコールということにもなる。これは、不良商品の「見直し」をして、改善することに他ならない。製造現場でのこの事態は深刻であり、企業の業績に直接反映してくることになる。

この現象を別の表現を使えば、「不良商品を生産・販売し、顧客に迷惑をかけ、世の中をお騒がわせした」ということになる。当事者には社会から圧力がかかり、謝罪が要求される。

しかし、政府の政策に不具合が発生し国民が迷惑をこうむった場合はどうなるか。これが不思議なことに、「抜本的な見直し」のひと言で許されてしまうのだ。

この抜本的な見直しの根底にあるもの、それは「意思決定の不良」である。従って、見直しをする場合、「なぜそのような不良が起きたのか」といった原因を明確にしなければ、再発防止策を作ることなど到底できない。抜本的な見直しを発表する際によく使われる「二度とこのようなことにならないように……」という言葉は、本来、原因が明らかになっていなければ、常識的にはいえるものではないはずだ。だが、現実には原因不明確なまま、言葉だけがひとり歩きする。

「今回の抜本的な見直しに至った原因は、「……」、「……」といった検討項目に抜け漏れがあり、さらに、実施上の計画である「……」、「……」に無理があった。従って、そこを改善するために、修正案は「……」、「……」といったものになる」となれば、納得がいく。国民も、メディアも、もっと論理的に本質に迫りたいものだ。

また、政府の政策の「抜本的な見直し」が生じる、つまり「政府の意思決定の不良」が発生すると、その修正のための費用(役人の作業費、制度変更のコストなど)は、やはり国民の税金から負担することになる。これからの時代は目に見える税金のムダ使いだけでなく、目に見えない「抜本的な見直し」にかけられる税金のムダも考える時代となろう。

精度不良の製品はクレームが付いて、すぐ返品される。工場で不良部品が発生すると、生産活動はストップし、大きな問題として責任者が対応する。目に見える現象に対してはこのように対処がなされ、問題の原因が究明され、再発防止の対策も講じられる。すなわち製品の精度のバラツキには大きな関心が払われ、これを改善するために経営資源が惜しみなく注がれる。

製品の精度については、まず、材料品質が吟味され、さらに、どのような方法で加工されているか、どのような「道具」が使用されているかが検証される。この場合の「道具」はすべて目に見える作業に関連するものであり、「道具」そのものを目視で確認できる。改善も工夫も容易である。目に見えるからである。

一方、目に見えない意思決定の「不良」はそれが発生してもあまり問題にならない。製品に対する不良のように、誰もすぐには迷惑をこうむらないし、それが大きな問題にならないうちは、傍観するほうが波風は立たない。

そうする方が無難。チームワークも乱れない。目に見えないから問題視する声も出ない。また、大きな社会問題になっても、意思決定の「不良」は責任を追及されない。マスメディアの前で謝罪劇を演じる必要もない。

戦後しばらくはこれでも経済は回った。高度な成長も成し遂げた。しかし、節目が訪れる。バブル崩壊前後から、ものづくりで世界をリードしてきた日本に陰りが出てきたのだ。そして、その状況は今より悪化しているといえる。

理由は何か。開発技術や生産技術、さらに日本人の能力が劣化してきたのだろうか。本質的な問題はそこではないだろう。意思決定の「不良」を解決せず、先送りしてきたことこそに問題の本質はあるのではないだろうか。

ところで、意思決定という、いわば「問題に対するベストのソリューション」を選定する場合、その精度の良し悪しはどこで左右されるのだろうか。例えば、意思決定がある案件に対して最適の選択肢を選ぶことであるならば、その精度を決めるのは、選択肢自身なのか、選択肢を選ぶ作業なのか、それは定かではない。

では、違った角度から見てみたい。人は不適切な選択肢を、何故選ぶのだろうか。カレーライスが効率よく作れても、味がマズい場合もある。何故そうなるのか。また、社内の切れ者が天才的な閃きで考えた新しい組織も、実施してみると、不評であちこちに齟齬が出てくることがある。画期的な新製品を開発して販売してみたが、思ったように売上げが伸びないこともある。なぜ、このような現象が起こるのだろう。

それは、意思決定の精度、すなわち「品質」が悪いためである。では良い品質の意思決定をするためにはどうすればいいか。

残念ながら特効薬はない。ただし、長期的な目で見れば、品質を向上させることはできる。それには、「最適な結論をもたらすための考え方(分析)を標準化」し、「それをマネージする方法」を獲得することが必要となる。そして、その原点は、結論に至る個別のアイデア(考え方)が、なぜ必要なのかを考慮し、その思考を身に付けることである。

カレーライスの料理の段取りを例に見ていこう。料理法がいかに理路整然かつ合理的であっても、その理由を考えなくては自分のものにならない。例えば、「なぜこの温度調整なのか」、「なぜジャガイモを煮込む前にタマネギを炒めるのか」、「人参と鶏肉の相性はどうなのか」など。

意思決定の精度を上げるには、考えるプロセスを論理的な手順に並べるだけでは不十分だ。それでは単なる知識にとどまり、智力にはなり得ない。なぜその過程にその考え方があり、必要なのかを熟慮する。そうすることで、智力となり、スキルは自分のものとなる。

つまり、意思決定の精度を追求し、自分も組織も適切は判断業務ができるようになるためには、思考のプロセスを超えた原理を考えることが最も重要となる。

「なぜ、意思決定には選定基準が必要なのか」、「なぜ、選定基準を分類しなければならないのか」、「なぜ、問題が発生した時の具体的な現象に対してセーフティーネットを事前に用意するのか」、「なぜ、その作業をその時点でするのか」――。

それらには明らかな根拠がある。そこを見出すことこそ、「意思決定」の不良を改善する原点だということを、胸に刻みたい。

 1  |  2  | 全部読む