昨年11月、上海技術交易所の招きで上海を訪れたときに、上海大学の工学部の教授と「クリティカルシンキング」について話す機会がありました。このチャンスを利用し、私は「中国では、知識と知恵を区別しているか」という質問をぶつけてみました。これに対してその学者は即座に、「中国では知識と“智力”を区別している」と返答。そこで、あつかましくも、「では、智力の定義はどのようなものですか?」立て続けに聞いてみました。これに対する回答。それは実にビックリするものでした。
良し悪しは別にして、日本人は、完璧を追求する傾向が強すぎるのではないでしょうか。例えば、企画立案に対して、それをチェックする立場の人は常にこう念を押します。「この案で問題はないよね。完璧だよね」と。
米国産牛肉の輸入がついに解禁されました。しかし、報道によると、「米国産は買わない」という消費者が少なくないようで、売れ行きは芳しくないと聞きます。米国は、「買われないのは、規制などのnon-tariff barrier(非関税障壁)があるからではないか」と、発想する可能性があり、私はそれを危惧しております。
今回は、政治やビジネスから離れて、日常生活で論理的思考を適用した場合のケーススタディをお話します。
あなた(夫)に勤続25年の見返りとして、会社から2週間の特別休暇が出たとします。家族構成は、妻に、大学3年生の長男、大学1年生の長女、そしてあなたの年老いた両親。両親は病弱でともに病院通いの身です。