飯久保廣嗣 Blog

安倍総理の「美しい国」論は国民の明るい未来を示唆するものであり、大いに結構なことだと思います。「美しい国」を建設するためには、国家的見地に立った日本の教育をどうするかが、優先課題であることはいうまでもないでしょう。

ところで、「教育」の定義は、広辞苑によると、「人間に他から意図をもって働きかけ、望ましい姿に変化させ、価値を実現する活動」とあります。しかし、これでは抽象的であり、具体的なイメージがわきません。

一方、世界には、教育に対するより具体的な定義が多々あります。そのうちの一つであり、私が感銘を受けたものとして、米国のある大学の講堂に掲げられている教育の定義を紹介したいと思います。そこには、次のように書かれていました。

“Education is to learn the use of tools which the mankind has found indispensable”(教育とは人類が不可欠と判断するツールの使い方を身に付けることである)。我々日本人が考えるツールは、道具であり、道具は目に見える作業の質や効率を向上させるために考案されたもの。他方、ここでいうツールは、“目に見えない”知的作業の水準を高めるために使用するものと解釈できるのではないでしょうか。

我国は、知識偏重教育により、国力を世界に冠たるものにまで高めてきました。しかし、これからの時代は、考えること、すなわち“智力”をどのような形で教育全般に組み込んでいくかが問われていると思います。

ノーベル物理学賞受賞者の江崎玲於奈博士は、以前に“ability to reason”を高める必要があると言われました。ほとんど日本人は、“reason”の定義を「理由」と受け止めていますが、江崎博士の言う“reason”は「道理、理性、思考力、判断力、正気、思慮、分別」などを指します。

つまり、理性に基づいた思考力を重要視されているわけです。日本人が国内外で活躍するためには、この“ability to reason(思考力)”や前出の“目に見えないツール”の強化を、これからの教育の大きな柱とするべきでしょう。この能力を強化する方法は、世の中にすでに存在しており、それを活用する強い意識が必要ではないでしょうか。