国の将来を憂う一国民として最近考えるのは、「正直者」、「正直であるということ」が、全く日常用語から消えてしまっているということです。
「正直」を広辞苑で引くと、「いつわりのないこと」、「正しく素直なこと」、「かげひなたのないこと」という程度の定義しか載っていません。
一方、英語で「正直」を意味する“honesty”を英英辞典で調べると、「ウソをつかないこと」、「だまさないこと」、「盗まないこと」、「真実を貫くこと」などが挙げられています。さらに“honesty”の語源である“honer”の定義を、同様に英英辞典で調べてみると、「正義に対するセンス」、「人格に対する威厳を持った顧慮(「顧慮」とは広辞苑によると、「考えに入れて心づかいすること」)」といった意味が列挙されています。日本語の定義に比べてより具体的であり、行動を伴う表現であるところが注目されます。
しかし、元来、日本文明には「正直であれ」という美徳がありました。日本が今の混乱した状況から抜け出すためには、この美徳という原点に立ち、それらを21世紀風に解釈しなおす試みが必要ではないでしょうか。
日本の現状をこれで良しとしている人は少なくないと思います。政治、教育が悪いからだと責任の転嫁をしていては、解決になりません。我々一人ひとりが、人としての尊厳や威厳を自分の問題として考えることが肝要ではないでしょうか。無論、社会の指導的立場にある人達に自覚を持って頂くことは、申すまでもありません。
国民もリーダーとなる人物が、人間として正直かどうか、尊厳を持つか否かを、選挙などの際の判断材料にしてはいかがでしょうか。その判断方法は簡単です。その人物が、社会人になってから、どのような価値観を持ち、どのような発言をし、どのような経歴を残してきたかを見れば、一目瞭然です。
米国やヨーロッパの議員たちの公の場における発言はすべて記録されており、機会があれば、マスメディアによりその矛盾点を突かれます。そこで理性的な対応ができない場合は、国民の信用を失うことになるようです。