先日のブログにおいて、『コンティンジェンシー後進国』というタイトルで発信しました。コンティンジェンシーとは「あらゆる計画を実施するときに起こりうる諸問題点を想定し、それらが発生したときにその影響を極小化するための対策」であり、日本はその分野での認識が希薄であるという現実を書きました。
コンティンジェンシーに関連した概念に、コンセクエンス(consequence)があります。この言葉も我々日本人には馴染みの薄いものではないでしょうか。英和辞書によると、「結果、成り行き、重大性、重要さ」などとありますが、正確に合致する日本語の定義は見当たらないのが現状です。
強いていうならば、マイナスのコンセクエンスに、「リスク」という日本語化した英語が当てはまるかもしれません。つまり、現在取ろうとする行動と、その結果の因果関係を論理的に想定してみる考え方なのです。ある行動を起こした結果、どのような帰結が考えられるのか。例えば、ビジネスでいえば、粉飾決算をしたら、最悪の場合どのような現象を引き起こすか。上司の命令だからといって虚偽の報告をしたらどのようなインパクトが起こりうるか。不正表示を続けたら長期的にどのような結果が想定されるかなど、この発想は、自分の行動の結果責任を想定し判断せよ、という論理的な発想なのです。
常に「もし、これをしたら、その場合のコンセクエンスは?」と自問自答することによって、我々の行動が自らの規範から外れることが少なくなるのはないでしょうか。このことは、単に企業や組織行動の理性的な側面に警鐘を鳴らすだけでなく、道徳教育や社会全体において、「理性」の重要性を再認識するきっかけになると思います。