私たちは多くの「外来語」を日本語として日常生活に使っています。古くは中国から、最近では欧米由来のものが圧倒的です。なかには安易に発音をそのままカタカナにしたり、あるいは、考えや概念を理解して、それに見合う日本語を創作するケースもあります。
たとえば、「QUESTION」が「質問」になり、その定義が「疑問または理由を問いただすこと」として定着しています。あるいは、「REASON」は「理由」と言うことで理解されています。「QUESTION」や「REASON」には実はもっと奥深い意味や考えがあるのですが、これについては、またの機会に述べることにします。
また、「CHEMISTRY」は「化学」と理解されています。我々も中学のときに習いました。しかし、実は「化学」以外に「相性」と言う意味もあります。異質のもの同士が出会って素晴らしい結果を生むようなときに、人間同士でも、また、組織間においても「相性がよい」という意味合いで、英語の社会では日常的に使われているのです。こうした定義を盛り込むような、実用的に使える辞書を作りたいとつくづく思います。
また、外来語を日本語に訳して、それがあたかも外国の概念として輸入されたと思い違いをして、日常的に使われている言葉もあります。その一つが「経営」です。英語のマネジメントを「経営」とし、この概念は西欧から輸入されたものと勘違いされている場合が多いようです。しかし、広辞苑の第二版補正版(昭和57年10月15日発行)によると、この「経営」という言葉は、下記のような意味合いで、平家物語や太平記に登場します。
1.縄張りをして基礎を定め、建物などを造ること。
(今日でいう「戦略」と解釈することができます。どこに経営資源を重点的に投入するかということです)
2.工夫を凝らして物事を営むこと。組み立てて指示すること。
(日々のオペレーションのことであり、今日の改善や改良のための活動を指します)
3.継続的・計画的に事業を遂行すること。また、そのための組織。
(企業経営の経済的、技術的な側面のこと、そして構成する人間をどのように配置するかの仕組みを指します)
つまり、今日論じられている「経営」の重要概念はすべて、古き日本に存在し、実際に活用されていたわけです。
現在、日本の経営活動は企業であれ国家であれ、大きな曲がり角に差し掛かっています。ただし、それを担う人たちは、西洋のシステムをそのまま安易に適用することが国益や国際化につながると勘違いしている傾向がやや見受けられます。日本古来の考え方やシステムにも今一度目を向けたいものです。
最近、外国の圧力(本来は圧力という形にしないで、両者で論理的に討議して合意に至るのが筋)という訳のわからないものに影響され、政府委員会等で安易に対応し法律を制定する動きが見られます。結果的にしろ一部の企業や業界に有利になることがあったら、これは一大問題です。
また、外国の成功事例を参考にするのは結構ですが、日本社会に適用する方策を策定し、それを最終決定する前に、「もし、これを実施したら、どのような問題が生じるか」という視点と、一次、二次対策を、予め法律に織り込むことを考えていただきたいと思うのです。
「セーフティネット」などという横文字の代わりに、日本の智恵にある「泥縄」の教訓をシステマッティクに活用してはいかがかなと思います。問題が起きてからその対策を考えたり、あるいは、隠蔽したりすることはあまり賢いことではないのではないでしょうか。