教育問題が議論されて10年以上経ちます。それにもかかわらず、具体的な方針、哲学、行動ブランがいまひとつ明確にならないことに、歯がゆさを感じている人も多いでしょう。その背景の1つに、「責任感を持ってものを決める」ということを誰もやらない時代になってしまったことが挙げられるでしょう。成り行きまかせでなんとなくものが決まることが多くなってしまっているのです。
教師による学生の成長を促すための「教える工夫」は、いったいどれくらいなされているものなのでしょうか。今回は、私が見聞きした2つのケースを紹介したいと思います。
先日、某大臣の発言で、予算審議がストップし、税金の浪費が発生しました。直接的なロスは、国会運営に関わる費用と代議士、国会議員の人件費。間接的なロスは空転する国会の影響で、国がこうむっている様々な機会損失ではないでしょうか。
今回はまず、過去に米国系コンサルタント会社の優秀な役員として活躍した日本人のエピソードを紹介します。彼は米国での留学時代、高等数学のテストを受けた際に、難問に対し自信を持って、正解だけを解答用紙に大きく書き、米国人や他国の優秀な同級生を尻目に提出して教室を後にしたそうです。本人は自信たっぷりで100点を期待。しかし、結果は0点でした。