今回はまず、過去に米国系コンサルタント会社の優秀な役員として活躍した日本人のエピソードを紹介します。彼は米国での留学時代、高等数学のテストを受けた際に、難問に対し自信を持って、正解だけを解答用紙に大きく書き、米国人や他国の優秀な同級生を尻目に提出して教室を後にしたそうです。本人は自信たっぷりで100点を期待。しかし、結果は0点でした。
問題に対する解答は正しいのに評価は0点。早速担当の教授に異議を申し立てたところ、次のように切り返されました。
「確かに解答は正しい。だが、そこに行き着く過程について、数式や理論の説明が皆無。これでは、たまたま正解になったのかもしれない。説明もないし、説得力に乏しいのではないか」。
日本人が得意とする「暗算」思考は国際的には通用しない。この一件はそれを痛切に示すものです。もちろん日本でも「起承転結」という発想はあります。しかし、問題を解いたり、会議を進める時にはあまり意識しないのが現状ではないでしょうか。
私は米国の母校で「異文化における意思決定論」(Decision Making in Cross Cultural Context)の講義を引き受けたことがあります。つい安請け合いしたのですが、これが大変な集中講義。授業時間は毎回110分、1日2コマで、週5日を4週間続けるというハードなものでした。米国の多くの卒業生は、母校のために奉仕をすることを名誉と考えているわけですが、このWinter Term(冬季の特別講座)の開講に限っては、随分後悔したものです。
欧米では、教官を交えた活発な論議を中心に授業が展開されます。そのための材料として私は多くの簡単なケーススタディを用意しました。それをもとにグループ討議を実施するのです。16名を4つのグループに分け、60分ぐらいで、結論を導く。その発表に対して、また全体で議論をするというスタイルで、ものの考え方を徹底して訓練していくわけです。質問や議論に参加しない学生は、関心がないか、能力がないという烙印を押される場合もあります。
私がそこで非常に感銘を受けたのは、4つのグループが資料を読み終えたところで、ごく自然にどのようなプロセスで議論を展開するか、ディスカッションを始めたことでした。相手は21歳前後の学生です。その若者たちが、資料を一読して、簡単に結論が出ない場合は体系的にシステマッティクに議論を進めることが合理的であるという認識を、皆一様に持っていたというわけです。無論、討議したプロセスの内容は「テーマを明確にする」、「原因をつかむ」、「対策を考える」といった、いたって初歩的なもの。しかし、このように分析の進め方の「段取り」の重要性をすでに認識していたことには大いに感心させられたものでした。
それと同時に、今日言われている、コンサルティング営業、提案営業、プレゼンテーション、相手を説得する技術、ディベート、コミュニケーション、問題解決などの思考業務の基本はここにあるのだなと改めて感じました。物事をうまく進めるためにはシステムの充足が不可欠。しかも柔軟に対応できるダイナッミクなものが要求されます。今回の2つの話はそうした「結論に至る筋道」の大切さを、物語っているのです。