最近、国内メーカーの製品において、利用者の安全に十分な配慮がなされていないケースが報道されています。物言わぬ日本人のことですから、重大事故につながった場合でも、一過性のニュースとして、その後立ち消えになることも多いでしょう。
消費者が被害にあった場合のメーカーへの対応を外国と比較すると、そこには雲泥の差があります。この差を象徴的に表す事件が、20年近く前にありました。
それは、日本でワインブームが巻き起こったときのこと。オーストリア産のワインに添加されていた防腐剤が原因で、神奈川県川崎市の一般市民が体に異常をきたし、それを川崎市の保健所に届け出たというニュースが流れました。
この記事を読んだときに真っ先に私が感じたのは、もしこの事件が欧米で起きたら、消費者は保健所に報告するのではなく、迷わずメーカーを相手取り、弁護士を通じて相当額の賠償請求を起こすのではないかということです。そして、それがニュースとして取り上げられるのではないかと思いました。
従来、“信用社会”としてうまく機能していた日本社会が、国際化のおかげで、“契約社会”に急速に移行している現実が、今ここにあります。それは世の中の慣習やルールが逆転する可能性をはらんでいます。例えば、信用社会であれば、銀行の書類や契約書に捨印を押すということに、何の抵抗もありませんでした。ところがこれからの時代は、簡単に捨印を押すという行為が、悪用され、災いを招くということも考えなければならないのです。欧米では、売買契約書等の重要書類は弁護士にチェックを依頼した後、問題ないという報告を受けてサインをするのが通例です。
しかし一方で、米国の弁護士数は80万人とも90万人とも言われているのに対し、我国は制度上の違いはあれ、2万数千人であるという現実もあります。数年前からロースクールが設置され、弁護士数を増やすような仕組み作りが進んでいますが、契約社会への対応が一朝一夕に整うことにはならないでしょう。
従って消費者は自己防衛を考えなければなりません。本質は被害を受けた個人が、メーカーに対して、泣き寝入りや妥協をしないという意識を持つこと。相手が巨大なメーカーであっても、その巨大さゆえに言いなりになったり、丸め込まれたりしては、いつまでも状況は変わらないのではないでしょうか。
物品を売買したり、契約を締結するという行為には、必ずリスクが伴うという認識が大切だと思います。この場合、最悪のシナリオを考えて、対策を事前に想定しておく発想こそが重要なのです。例えば、湯沸かし器に問題が生じた場合、メーカーに対してどのような形で責任を取ってもらうのかを考えておくことも、対策の一つです。
このように消費者とメーカーが対等な立場になる世の中が実現すると、メーカーも口先だけではなく、真の意味で“お客様第一主義”の体質へ変わり、双方の好循環が始まると思うのです。他の先進国の消費者もメーカーも、契約社会という概念の中で、鍛えられているのです。