選挙の時期が近づいています。今回は、選挙民の選挙に対する意識と、自分の代理として国や自治体の経営をまかせる人物をどう選ぶかについて、考えてみたいと思います。
まずは選挙に対する意識ですが、投票は果たして国民の義務なのでしょうか。現状では、大多数の国民がそのような認識を持っているのではないでしょうか。もし、そうであれば、国民の大半は選挙の投票用紙がくるから、それに応じて投票所に足を運んでいることになります。いわば受身の立場です。これでは、国の経営に参加しているとはいえないと思うのです。さらにこの認識が、投票率低下の一因になっていると思えて仕方がないのです。
私は、選挙で投票するという行為は、義務ではなくて国民の権利であると認識しています。一般的な人情として、義務には最小のことをすればそれで済むという感覚が働きます。ところが、権利という発想を持てば、それを行使する際に最大限の効果を望みたいと思うのが人の心情だと思います。権利と認識した瞬間に行動は一変するのです。
一方、権利という発想を持ったとしても、行使の仕方がわからないのも現実でしょう。そこで、私は次のような提案したいのです。当然のことかもしれませんが、選挙とは複数の候補者から最適な人物を選ぶということです。選ぶということは、何らかの判断をする基準が必要になります。例えば、候補者がどのような経歴を持った人物なのか、どんな政治理念を持っているか、また、国政を任せるに値する人格を備えているのかなどなど……。我々一人ひとりが基準を設定し、自主的な選定をすること。これこそが権利の有効な行使につながるのではないでしょうか。
こう考えると、まず選ぶための基準を明確にするという発想と同時に、各候補者の情報が必要となります。選挙民が、情報を収集する方法はマスメディアが主です。ただ、そのマスメディアの多くは、当選者の予測や、センセーショナリズムで候補者の面白おかしい一面だけを捉えた報道に終始しています。そこからは、選定に本当に必要な本質的な情報はあまり得られません。
ただし、そこでめげて傍観していたのでは、事態は一向に改善しません。やはり、投票は義務ではなく権利であると強く心に意識し、積極的に情報収集に努めることが必要となります。候補者の街頭演説や集会に足を運び、その人となりをつぶさに観察することも一つの手でしょう。自分が目にした生の一次情報からは多くの発見があるのが世の常です。
国民の政治不信や国政に対する無関心は、政治家や行政、マスメディアのせいばかりではなく、我々選挙民にも原因があるのです。選挙を自分の権利として強く意識すること。今年の統一地方選、参院選が、よい方向に舵が切られるきっかけになることを願って止みません。