先日、長野県の諏訪市に仕事で足を運びました。仕事を済ませた後、時間が余ったので、温泉場に赴き、1時間ほどゆっくりつかることにしました。そこでひとつ驚き、感心する光景に遭遇しました。温泉場のトイレのスリッパが掃き口を入口方向に向け、掃きやすいように並べられていたのです
最近の日本の社会には行儀作法に無頓着な傾向が見られます。これは、家庭のしつけや、先輩の指導が行き届いていないことが原因なのかもしれません。その中で諏訪の温泉場で経験したごく当たり前の光景が、非常に新鮮に目に映りました。
最近は、どうなっているか知りませんが、昔、ある伝統的な日本企業の工場を訪れると、トイレのサンダルがきちっと並べられていたことを思い出します。それを責任者に指摘すると、しっかりと揃えるように教育しているとのことでした。
日本の将来を憂うことも必要です。しかし、日本各地にはこのような当たり前のことを当たり前にする人たちがいるということも目のあたりにし、まだ日本も捨てたものではないと感じました。このような人たちを私は「無名一流人」と呼びたいと思います。
また最近、とうもろこしがエタノール燃料の原料として注目されていますが、今度はそのとうもろこしにまつわる話を書きます。この話はアメリカ人の友人から以前聞いたものです。ご存知のように米国の中西部は穀倉地帯であり、巨大な農場が点在しています。その中西部のある農場主は研究熱心であり、とうもろこしの新種を開発し、自分の農場の収穫量を増大させることに成功したそうです。
ただし、この収穫量は年によってばらつき生じるものでした。不審に思い、風の強い日に自分の畑を観察していたところ、隣の農場からオレンジ色の浮遊物が自分のところに吹き込んでいるのを目撃。収穫量の少ない隣の農場の花粉が舞い込んできていたのです。風に乗った花粉を防ぐことは不可能――。そう判断した農場主は周辺の農場に自分の優良な品種を提供。地域全体が恩恵にあずかるようになったとのことでした。
この話は、社会生活を送る人間にとって、地域全体といった公を大事にすることなくして、自身の利益を守ることはできないということを物語っています。また、我々の言動を花粉に例えれば、その花粉がどこでどのような花を咲かせているかは追跡できません。そうであるならば、日常生活の中でできるだけよい「花粉」を発信することで、社会全体がよい方向に向かうように仕向けたいものです。