飯久保廣嗣 Blog

先月の安倍総理の訪米は、日本の報道を見る限り、大成功だったと評価されているようです。しかし、ある報道番組で、「テレビジャーナリズムの最大の問題は、言論統制が敷かれていること」という発言を聞きました。これは、極論かもしれませんが、実際に番記者が報道内容を協議して、発信してきたということは否定できないのではないでしょうか。今回の安倍総理訪米の評価も類似の“協議”からのアウトプットではないかと、勘繰りを入れてみたくもなります。

ある米会社の日本法人の社長は、私との雑談の中で次のように発言しています。「ワシントンで、安倍総理から米国や世界社会に対してインパクトのある発信はなかった。安倍総理は日本国内を意識して行動されたのではないか」。冷静な指摘は、マスメディアの反応とは正反対のものです。

経済摩擦時代に日本は米国から“bashing”を受けました。中国を含むアジア経済が急成長したときには“passing”され、バブル後の日本経済弱体化の局面では“nothing”(何も学ぶべきことはない)とまで言われました。そして、これ以上、日本の評価が下がることはないと思っていたら、数年前には、“missing”と揶揄されるようになってしまいました。日本は国際社会で「行方不明者」だということです。この評価は数年経た今日でもそう変わっていないと思われます。

すなわち、今の日本に重要なことは、「世界が日本をどう見ているか」ではなく、「日本が世界社会に何を主張したいのか」に関心を払うことではないでしょうか。いわばinnovativeな国の戦略に関わる発言があってこそ、インパクトのある存在になりえるのではないでしょうか。このことは、外国交際を司る外務省に注文を付けたいところです。