先日、日系米国企業の本社で外国人マネージャを対象に、EM法を用いたWORK-OUTを実施しました。私がコンサルタントとして、2日間にわたり指導した結果、数々のリスクへの対策、当該事業部門が抱える諸問題を行動課題として上げて優先順位を設定するなど、非常に実践的なアウトプットが得られ、好評でした。
WORK-OUTには、非常に優秀なインド国籍の女性エンジニアが参加していました。問題の本質を押さえ、それをひと言で簡潔に表現し、私が提供したメソドロジーを理解し、直面する状況に適応する能力が高いという点で非常に優秀でした。余談になりますが、彼女の英語はアメリカ英語ではありません。それは、独特のイギリス流インド英語でした。アメリカ人も聞き取るのが難しい場面もありましたが、彼女の発想力、表現力、そして種々の条件設定や課題設定に対する想定力は、同僚のアメリカ人よりも優れていました。
昼食の雑談のときに、インドの教育システムについて質問をしました。その回答を聞いていると、なぜインド人が中国人や一部の韓国人とともに、国際人として活躍しているか、その背景が見えてきたのです。
まず、小学校入学時に、教育をタミール語、英語のどちらで受けるか、選択できるというのです。英語による教育は私立学校が中心であり、月謝もかなり高額になるとのことでした。
ところが、高等教育、つまり大学教育では、タミール文学やタミール文化に関するもの以外は、旧宗主国イギリスの影響もあり、すべて英語による授業だそうです。インド独特のイギリス英語ではあるものの、国際言語である英語の実力がこの時期にしっかり身に付くのでしょう。インド人がコミュニケーションとしての英語力を携えて、国内外で活躍している背景には、このような教育制度の存在があったわけです。
一方で、私には、東工大に通う子供を持つ友人がいます。その学生は海外留学を志望し、結果的に選んだ留学先がなんと北京の理系の大学でした。その理由は、すべての授業が英語でなされ、優秀な米英の教授陣を備えているからとのことでした。これほど中国の高等教育が英語力を重視し、海外の実力派教授を配しているという現実を知り、ショックを受けました。
日本においても、国際人養成が急務であり、数十年前から種々の施策が講じられています。しかし、私の知る限り、欧米先進国においてMBAや博士号を持つマネージャを使いこなしている日本人は非常に少ないといえます。英語力のみならず、論理力や発信力のパワーの弱さが、このような状況を生んでいるといえます。
このパワーをどのように定義し、訓練するかということが、国際人養成の要ではないかと、考えます。具体的にいえば、ビジネス上どのような状況に直面してもそれらに対応出来る力、相手がどの国の人間であっても対等に接することができるパワーが必要であり、それを鍛える教育を、小中高、そして大学の高等教育で講じることが重要だと思うのです。この教育の内容は、自分の考えを形成する力、発信する力、質問する力、問題を解決する力、自分のミスを認め乗りきる力、自分の考えを立証する力、相手側の本質を見抜く力、人脈を形成する力、そして、相手と激論を戦わせ、強い人間関係を構築する力などを挙げてよいと思います。
上記に挙げた教育の内容は、今日一般に言われているもの、つまり、「物事を理解する力」、「記憶する力」、「考える力」、「テストで良い点をとる力」、「学力をつける力」、「知識を身に付ける力」、「計算する力」などとは、本質的に異質のものであることを理解して欲しいのです。つまり、前段の項目は目的であり、後者はその目的を達成するための手段なのであります。