CNNでは8月2日夜(日本時間)より、8車線陸橋崩壊の関連ニュースを、長時間放送していました。最初は、被害の規模や現場レポート、救助活動の様子を集中的に報道。ところが、24時間経過した時点で、この惨事に関する報道が、ローカルな事故から、全米、そして国際的な問題へと、その範囲を広げていったのです。
細かくその変遷を振り返ると、当初は、全米のブリッジの安全性がどうなっているのかという検証や問題提起が主な内容でした。しかし、それが引き金になって、アメリカ社会全体のインフラ整備はどうなっているのか。都市の水道の安全性や電力供給はどうかなどという、視野を広げた問題提起がなされるようになりました。
そして、3日の朝の報道では、国際的な話にまで論点が拡大。つまり、イラクに新しいハイウェイやブリッジを作るために、米国民の税金を充当するくらいなら、米国内のインフラ整備に使うべきではないか、という主張が取り上げられるようになったのです。国家としてのプライオリティをどこにおくのか――。結果的にそういった問題提起にまで、ミネアポリスの事故は一石を投じることになったのです。
翻って、日本ではどうでしょうか。大きな事件・事故があったときに、それを引き金に社会全体の問題として考えるといった、議論の「発展性」に欠けているのではないでしょうか。
卑近な例で言えば、柏崎・刈羽原子力発電所の報道や議論が挙げられるでしょう。地震が与えたダメージが引き金になり、日本全国数十箇所の原子力発電所の安全対策について、国の総力を挙げて徹底的に取り組むという発想には、行き着いていないのではないでしょうか。ましてや、国際的支援に絡めた議論にまで話が及ぶことは皆無といえるでしょう。
このことは、2つの問題を示唆しています。第1は、政府やマスメディアが発生した問題や現象から、広範囲かつ本質的な議論をスピーディーに展開するという発想や能力に、欠けているという点です。24時間のうちに、1都市の陸橋崩落が国のインフラ問題になり、国益としてのプライオリティの議論に発展するということが、日本では不思議と起きない。被害者の数、修復への時間など現象面のみの報道で終わってしまうのです。
第2の問題は、日本の政府なり行政に、優先順位という概念がしっかりと確立されていない危険性があるということです。例えば、被害者の方には申し訳ないですが、年金問題の対応と、原子力発電の安全に対するインフラを単純に比較して、どちらにプライオリティがあるかということは、明白なのではないでしょうか。
プライオリティを設定しないと、原子力発電反対といった極端な感情論も出てくるでしょう。そうなれば、国家の電力供給に重大な支障をきたすことは言うまでもありません。もし、プライオリティを政府なり行政が徹底的に考えれば、「税金はインフラの安全対策に対し重点的に充当する」という発想に行き着くはずです。
国家の最高機関が、政党間の駆け引き、政争の具、枝葉末節の論議に終始している間に、国力が弱体化していく現状を、心ある人は危惧しています。そして、国際社会も、日本の政治や行政の行動を注視し、その結果により、日本に対する評価を定めているのではないでしょうか。ここで、National Interest(国益)は何かに焦点を合わせて、問題解決や意思決定とリスク対応をなすという原点に戻りたいものです。