日本の競争力は世界で24位
スイスのIMD(経営開発国際研究所)は去る5月、『2007年世界競争力年鑑』を作成し、日本の競争力の順位が昨年の16位から24位に下がり、他方、中国は昨年の18位から15位に上がり、1998年以来9年ぶりに日本を上回ったと報じた。
IMDは55の国と地域の「マクロ経済」、「政府の効率性」、「ビジネスの効率性」「インフラ」の4分野に関する統計や聞き取り調査の結果を集計し、国の競争力を示すランキングを作成しているが、日本はこれら4分野のすべてで順位が後退し、特に「経営者の企業家精神」が53位に評価され、「ビジネスの効率性」では22位から27位に後退した。アジア勢の中で言えば、日本はシンガポール、香港、中国、台湾、マレーシアの後塵を拝する位置に置かれることになったのである。
どうしてこのような憂慮すべき状態になったのか。直ちに考えられることは、各分野において、直面する諸問題に対して、自主的、主体的な判断が求められながら、実行してこなかったということである。また変化に機敏に対応していなかったことも関係している。
思考様式の再編成が必要
こうした状況から脱却するためには何が必要か。私は日本人の問題解決や意思決定の思考様式を抜本的に再編成することが最重要課題だと考える。日本の戦後の経済復興は米国主導型で成功を収め、目覚しい経済成長を成し遂げた。これは、日本人自らの主体的な意思決定の成果ではなく、欧米という手本を下敷きに、問題の回答を参考にして経営活動を営んだ結果もたらされた繁栄であったと考える。
こうした状況に変化の兆しが現れたのが一九八六年。日本の自動
車産業が隆盛を極め、対米自動車輸出の自主規制を始めた年である。当時、瞬間的ではあったが日米の立場は逆転した。つまり、日本は手本となる先導役を失ったのだ。その結果、日本は自らの判断で主体的に最適な選択肢を選ばなくてはならない立場に置かれることになった。しかし日本にはGHQ症候群とも言うべき思考様式の影響が依然残っている。どういうことかというと、日本はある問題が提示され、それに賛成できないとき、まず「相手の様子を見よう」と対応する。続いて説明に出かけ「理解を求め」、それでも相手が納得しなないときは「譲歩し妥協しよう」という対応をとる。この思考様式は日本社会だけのもので、国際社会では通用しない。この点につき、参考になるのは天安門事件の際の中国政府の対応である。中国政府は、この事件への対処について諸外国からの激しい非難を受けた。そしてそれらへの対応として、「様子を見る(=無視する)」、「説明して理解を求める」、「譲歩し妥協する」を複数の選択肢と挙げ、総合判断の結果「無視する」を選んだのである。
思考手順の標準化が必要
わが国は戦後の経済復興の過程で、「生産工場」において製造工程の標準化を押し進めて、生産のムダ、ムラ、ムリを徹底的に排除した。その結果、日本の製造技術は世界に認められ、優秀な製品を世界各国に輸出することで、国は豊かになった。しかし、年月が流れ、今やそうしたモノ作りの発想だけでは対応できない時代になった。多方面にわたる経営課題が山積する中で、それらをどのように解決に導くかを考える、いわば「思考工場」が必要なのである。さてこの「思考の工場」の実態はどうかというと、ここではムダ、ムラ、ムリが是正されるどころか、「思考技術」の開発が遅れ、経営資源が著しく浪費されている。この「思考工場」では、どんなに欠陥が発生しようとも「生産工場」のようにラインを停止できず、悪循環が放置されているのである。
他方、米国の優良企業では思考技術が標準化され、思考業務の生産性の向上に成功している。これは、「生産工場」で製造工程の段取りを明確化し、関係者で共有する考え方と同様だ。まず、経営現場の優秀な経験者の知恵と知識を思考のツールやプロセスとして整理。問題や課題から、結論に至る思考の工程を明確にし、必要があれば共通思考言語として活用することにより、筋を通して体系的に考える「手順」を確立する。米国では、いち早くこうした難題に取り組み、その結果、ビジネススクールが誕生したのだろう。
諸問題の明確化と優先順位の設定
日本における思考の生産性を論じる上でまず必要なことは、情報を開示し、直面す諸問題を明確にすることである。問題のひとつは過去に起こった問題事象である。その原因は何で、どういう対策を講じるのが適正かと言う問題である。こうした問題のほか、解決のために、どのような選択肢が考えられ、それらを判断する基準が何か、またその選択肢を実施した場合にどのようなリスクがあり、どのように対応するのかを考える必要のある選択領域の問題がある。更に、ある事業を展開した場合に、どのような重大領域があり、そこではどのような計画からのズレが想定され、有効な諸対策はなにかを明らかにする必要のある問題。そして、それぞれの問題をどのような順序で取り組むか、その優先順位を明らかにする必要がある。 まとめて言えば、現在どのような問題があり、それらの優先順位をどう設定するかという思考である。判断業務を効率的に行うためには、こうした思考様式を確立することが必要である。
判断基準と複数選択肢による意思決定
日本の社会の中で物事を決める方式は「ボトムアップ」と呼ばれる。部下の提案によって経営者が意思決定するという方式を指しているが、問題は部下から経営者への提案の精度である。企業のトップは適切な判断を行いため、判断の拠り所になる基準や、複数の選択肢、実施した場合に起こりうる損害、そして損失に対して充分な対応が十分考慮されている提案を求めている。というのも、ある決定事項に対して、明確に設定された判断基準により、複数の選択肢から最も適切な方法を選ぶという意思決定によって、はじめて広い視野から最適の選定を行うことができるからである。それと比べると、日本的な思考様式にそまった部下の提案では判断の精度が低く、意思決定には不十分な内容であることが多い。
リスクへの的確な対応
また日本では、つい十数年前まで、「優秀なスタッフが策定した政策には問題があるはずが無い」という神話が存在した。言い換えれば、「最適な対策が策定され、完璧な事業計画が構築されれば、ほぼ自動的に優れた成果が期待できる」と信じられてきた。この神話がもはや通用しなくなっていることは現実が証明している。
いま必要なのは、計画や対策の実施上の障害を想定して、それらが発生する可能性や、発生した場合の影響を判断して焦点を絞込み、諸対策を講ずること。もうひとつは、状況の変化に対応する予備計画を予め策定しておくことである。
人間は誰でも将来起こりうる不利な現象から自分を守るための発想を浮かべる。例えば、雨が降りそうであれば傘を持って出かける。複雑な政策や計画を実施する際にも、将来起こりうる問題を体系的に分析し、対策の欠落の防止策を徹底的に講じることが肝要なのだ。これらの対策を意識して目的に応じて識別することも重要である。さらに、将来対策には発生を防止する予防対策と、発生時の影響を最小化するための不測の事態(コンテンジェンシー)対策があるが、後者の対策が意識されていないことから、対策が後手に回る事になる。
日本では、問題はまず起きない、発生したら総力を結集して対応すればよいという意識が未だに強い。計画を決定する際にも、「問題は無いな」が上司の質問であり、「実施上の諸問題と対策は何か」という発想にはなりにくい。これでは将来対策が甘くなるのも当然だ。全ての政策や計画にはセットで将来対策分析も必須である。
「思考技術力」(コンセプチュアルスキル)が求められている
以上、日本社会において思考業務の「生産性」を高めるためには思考様式のイノベーションが課題となることを述べてきた。ここにいう思考様式とは、変化に対応しながら、諸問題に対して的確な対策を迅速に対応できる力、つまり「思考技術力(CONCEPTUAL SKILL)」のことである。
ここにいう「思考技術力」とは「直面している状況が仮に専門外の領域であり、または充分な知識を持たなくても、問題の本質を押さえ、優先順位を付け、当該問題をどのような思考手順で分析すると最も効率よく結論が出せるかを判断できる能力」のことである。
このような思考様式の確立は日本人の論理性を若干整理し、再編成することによって可能となるものであり、他方、日本社会全体を再活性化するために避けては通れない課題であるから、そのための努力が不可欠である。
思考様式のイノベーションを
最近「イノベーション」という言葉が使われるようになってきた。「イノベーション」と言う言葉は、これまでは主に「技術革新」を指す言葉として使われてきたが、黒川清氏(イノベーション25戦略会議の座長の)は「成長し、ある程度保守的になった状況で、それを中「IN」から壊す結果として新しい価値、製品、サービスが生まれる。つまりそういう壊す人が出てこない社会、企業は駄目になるということ」だと述べている。英和辞典で調べると「革新・刷新・新機軸」とあり、英英辞典のウェブスターによると「NOVATION?(ラテン語)はNOVATIOであり、『古いものに代わるSubstitute―代替するもの』である」と説明されている。また「規制の秩序に新しい物を持ち込み、変化を起こす」との説明もある。このことをふまえれば、思考技術力を高め、意思決定のスピードと精度を向上することは「従来の意思決定や判断業務に、新しい発想を取り入れ変化をもたらす」と言う意味で、「思考様式のイノベーション」と言っても差し支えないのではないかと考える。