注目を集めた自民党総裁選の結果が本日出ます。久しくお目にかからなかった候補者同士のディベート(公開討論会)が見られたのは、選挙の民主性が担保されたことであり、評価できる点だと思います。これを、模範として次回の衆議院選挙でも、小選挙区制などで立候補者による公開討論会が活発に展開されることを願うものです。
米国の大統領選では、このような討論会を1年以上かけて実施し、有権者に判断材料を与えています。
ところで、小泉構造改革による「影」の部分に両候補は対応すると、表明しています。この「光」と「影」で表現される施策に対して、日本には独特の思考様式があります。すなわち、一度、「光」の部分の施策を推進し、ある時期を経て見直した結果、弊害(「影」)が顕在化すれば、それに対応するということでありましょう。
この「光」と「影」を、同時に考慮し、「光」に関する施策と同じようなウエイトで、実施した場合の「影」についても諸問題点を想定し、それらの対策を盛り込んだものを最終案とする。このような目的やねらいとその案のマイナス要因を同時に発想し、マイナス要因に対してどのような対策を事前に講じることが有効であるかを考える。日本の思考様式は、「影」に対して予め対応しておくという発想が薄いのかもしれません。
例えば、直近の国連の安保理における実質的な対日謝意決議を見ても、ロシアが棄権するという、いわば「影」を想定はしていたと思いますが、棄権する可能性をどの程度想定していたのか。その可能性が高ければ事前に個別にロシア対策が立案されたのか。それらは確認したいものです。
そもそも一国民から見ると、日本の政局の安定を図るために国連や国際社会を巻き込むことはいかがなものでしょう。内政の利害のためのみに国連を利用することは、実に身勝手な、幼稚な印象を持たれることになりかねないと思うのです。
このような日本の行動に対し、マイナスイメージを持たれることを想定し、予め対策を講じておくことも「影」への対応。しかし、そうした発想や行動はないように見えます。別の言い方をすれば、日本の行動様式は、リアクティブ(受動)であり、プロアクティブ(能動)でないことを示唆しているともいえます。