飯久保廣嗣 Blog

「想定外」という言葉を、メディアで使った人物が誰であるかは、今更言及する必要はないでしょう。しかし、不祥事や問題が発生すると、安易に、この「想定外」と言う言葉が、使われる場合が今もあります。

「想定」を広辞苑で引くと、「心中で決めること」、大辞林によると、「状況・条件などを仮にきめること」という定義しか見られません。「想定」を英訳すると、“hypothesis”であり、その意味は、「ある結論を引き出すための想像、推察、推測、過程、考え」と定義されています。

この概念を現実に起きた現象に当てはめてみましょう。例えば、以前に発生したコンコルド離陸失敗による事故。原因究明で明らかになったことは、直前に離陸したコンチネンタル航空から鉄片が落下。その鉄片をコンコルドの車輪が巻き込む。巻き込まれた鉄片が、主翼に当たる。しかも当たった場所が燃料タンクだった。そうしたことが、偶然の連鎖となり事故につながったようです。

これらの一連の起こった現象を発生確率として考えた場合、極端にゼロに近いと、当時の事故調査委員会は判断。従ってこの事故は「想定外」ということになります。

一方で柏崎刈羽原発の事故は、原発本体の周辺で発生したものですが、「地震が発生する」ことは「想定内」でしたが、震度が「想定外」で、それにより事故が発生したと解釈されたようです。

地震発生は「想定内」だが、その震度が「想定外」。しかしその判断、解釈は甘いのではないでしょうか。例えば、都心の高層ビルの耐震強度はどれくらいに設定されているか。おそらく柏崎刈羽原発より高い設定がされていると思われます。つまり、震度も「想定内」にしなければ、問題の発生は防げないです。

わが国は、地震や台風が起きる可能性が非常に高く、もし、それらが発生したときの最悪のシナリオを考えて、諸対策を講じる。そういう発想がなければ、起きた事故はすべて「想定外」で片付けられることになります。

ここで確認したいことは、想定するという行為は、将来に起こり得る事柄や期待する成果を推測することであります。「想定」という言葉そのものが奥深いものであり、重要な発想といえます。例えば、「諸課題を設定する」、「発生原因を考える」、「条件を設定する」、「リスクに対応する」という一連の思考行為には、想定する力は必要不可欠です。今の時代、日本人の思考様式の中で、この「想定力」を強化することが求められているのではないでしょうか。