戦後の復興期を経て、米国に次ぐ経済大国になった日本で、「平和ボケ」という表現はことあるごとに使われてきました。この平和ボケについて、今一度考えてみる必要があるのではないでしょうか。
そもそも日本以外に平和ボケという概念はあるのでしょうか。今まではそれで許されてきたかもしれませんが、今回の海自による給油の中断について、国会はもとより、マスメディアや国民のレベルで真剣に論議がされないことも、「平和ボケ」の現れなのでしょう。
11月5日のブログで取り上げたことに関連しますが、今回の事態は平和ボケでは済まされない、日本にとっての大きな節目です。つまり、今回日本が起こした行動により、「問題が発生してから対応するという日本の思考様式は、世界に通用しないものである」ことが証明されるのではないかと、私は思っています。
なぜ、給油活動の中止という事態になるか。そのひとつは、前にも述べた「コンセクエンス」という概念が日本にはほとんど存在しないからです。この概念は、「ある行動の結果、発生するかもしれない現象」と解釈されます。日本では、「問題が起きた時点で全力を投入して解決を図る」という発想が主流であるため、コンセクエンスという概念や、言葉すら存在しない。これが実態ではないでしょうか。
今回の海自による燃料補給活動の中止は、その結果どのような影響が出るか。それを想定してみると下記のようになります。
①テロとの対決に挑んでいる国際社会からの信頼を失う
②日本と日本人のコミットメントに対する信頼の喪失
③日米同盟関係に大きな亀裂が入る
④米国の対日感情に悪影響を及ぼす
⑤日本人の信義を重んずるという国民性に対する疑念
⑥アジアの盟主としての立場が危うくなる
⑦アジア地区全体に対する安全保障の不安定化
⑧日本外交の脆弱性の露見
⑨日本や日本企業に対するバッシングの再発
⑩08年のG8サミットへの悪影響(もし給油を再開しない場合)
⑪外交上必要な欧米からの情報入手の困難化
主なところを想定しても上記のようになり、コンセクエンスという概念が欠如していることがお分かりいただけると思います。
平和ボケとは、「ある行動を行った結果、あるいは行わなかった結果、発生するかもしれない悪影響に目をつぶって、成り行きに任せて物事が収まることを期待する状態」を指すのでしょう。国際化が叫ばれている今日、世界に通用する発想を持つことも、必要であるということを認識したいものです。