1ヶ月ほど前にCNNのニュースの中で、「EU首脳は、中国からの貿易量の激増により、大幅な貿易赤字が発生していることに対し、『問題解決』を図る必要があると認識している」と、報道していた。日本のメディアや政治・行政では最近めったに聞かれない「問題解決」という表現を、EUの首脳が使っていることに、今更ながら新鮮な印象を受けた。
思い起こせば、日本では従来から「問題解決」という概念は、狭義な使われ方をしていた。例えば、「メーカーにおける不良品発生に対しての問題解決」というように、製造の現場で使われ、その域を出ていなかった。
しかし、ソニーの創業者のひとりである盛田昭夫会長は、経営や国家間の問題にも、その概念を適応すべきと考えられてようだ。そのひとつが、“プロブレムソルビング”という概念の提唱である。つまり、企業の役員や管理職、行政の局長や大臣は、「問題解決者でなければならない」という発想を持っておられた。
ところで、製造現場以外における問題解決は、日本では「政治的決着」、「政治的解決」という手法が大半を占めているのではないか。製造現場における現象については、合理的に分析し解決に結びつけるものの、政治や経済、社会の問題に対しては、分析的アプローチを重要視せず、個人の決断に近い形で解決する場合が多いように思える。
この方法は、日本人同士では有効な手段といえるかもしれない。しかし、冒頭に述べたような「EUが中国と問題解決を図る」といった国際的な問題では、合理的な分析を経なければ、解決は程遠くなるのが現実である。言い換えれば、国際社会での問題解決のアプローチには、政治的な決着と同時に、合理的で論理的な発想が不可欠なのであり、このことの認識を強く持ちたいものである。
この理性的な発想は、中国では「智力」、欧米では「インテリジェンス」又は、「コンセプチュアル・スキル」と呼ばれている。定義は当該案件に対して充分な知識が無くても問題解決が出来る能力である。