1970年代の日米間には、貿易摩擦問題があり、緊迫した場面が何度もあった。当時の問題は、日本の対米貿易黒字であり、圧倒的に輸入する米国の製品よりも輸出の方が多かった。その結果、貿易のインバランスが起こり、政府が慌ててジャンボ機を購入したこともあった。
時経た今日、日米間では情報量について、インバランスが起こっている。ただし、70年代当時とは逆で、米国からの輸入が輸出よりも圧倒的に多くなっている。そして、この半年の間にアメリカ関連情報で圧倒的に多いのが、米国共和党・民主党の大統領予備選の情報といえよう。
G8先進国の中で、日本ほど米国の大統領予備選の報道を連日連夜取り上げている国が果たしてあるのだろうか。来る11月の大統領選に関する報道であれば、その情報量の多さも納得がいく。
しかし、現在の予備選挙に関する米国からの情報の入超は、マスメディアが無意識のうちに対米追従の姿勢をとっているのではないかと思ってしまう。
私は僭越ながら常々「日本はジャーナリズム不在であり、あるのはセンセーショナリズムではないか」と、思っている。歴史が転換するときに、物事の本質を押さえ、耳障りな内容であっても、それをあえて周知し、国民の意識を喚起することがジャーナリストの本質ではないだろうか。
今の時代、日本人と日本社会にとって、大切なものは何か、それは報道に値するものなのか、というジャーナリズムの原点が、ますます見えなくなっている。「新聞の質が国民の質を現す」という司馬遼太郎の言葉を今一度噛み締めたい。
巷では、米国の独善的な振る舞いに対する批判、日本の国際社会での相対的な地位の低下といった現実がある今日に、今後の日米関係をどのように考えたらよいか、という課題が国民的な関心事となっている。
そうした議論が起こるとき、いつも脳裏をよぎるのが4年前の2004年4月3日に、横浜で締結150周年の式典が開催された、日米和親条約の存在である。式典に私は実行委員の一人として携わり、当時の総理大臣・小泉純一郎氏をはじめ、多くの人々が参列したが、そこで改めて、条約締結150年の意味を考えてみた。
そして、気がついたことは、この条約が人類史上、西洋列強が非西洋の国と結んだ条約第一号であるということだった。それ以前では、西洋列強が植民地化した歴史しかないのである。
私の友人であるプリンストン大学の教授が、ちょうどその頃タイ王国とフランスの間に条約が締結された史実があるといったが、その日付を確認したところ、締結年は1856年。つまり、日米和親条約の2年後である。
この和親条約は、西洋のリーダーである米国と、非西洋の先進国たらんとしていた日本が、内容は不平等であったものの、対等な立場で渡り合い、締結に至った。まずこのことを、歴史的事実として再認識したい。
日米関係は、このような運命的な出会いから始まり、それ以来、西洋諸国のリーダーと、非西洋諸国のリーダーとして、お互いの地域を代表してきた。また、第一次世界大戦を同盟国として戦い、第二次世界大戦では敵対し、戦後は63年もの間友好的な関係を維持してきた。
アジアにおける日本の位置づけの議論の中に、日本の軸足を米国一辺倒から中国に移すべきであるというものがある。しかし、これは本質を見誤った考え方だ。心情的には理解できなくもないが、現実的ではない。
2008年1月6日(日)に、自宅で新聞の朝刊を読んでいた。日本経済新聞と産経新聞である。それら2紙を読んでいて、平穏な日曜日の昼下がりにくつろいでいた気分が一気に吹き飛ぶような、驚くべきことを発見した。
2紙は、駐リトアニア領事代理だった杉浦千畝に関する聞き取り調査の報告書がまとまったという内容を報道していた。しかし、信じられないことに、それらの記事は見出しこそ異なっていたものの、本文は一字一句同じものだったのである。これはどちらかの新聞が盗作したのか、または、同じ記者が書いたのか。そんな素朴な疑問さえ浮かんできた。「大手の新聞に限ってそんなことがあるはずない」と思う人は、どうぞ図書館で2紙のバックナンバーなり、数ヵ月後に出る縮刷版なりで確認して頂きたい。
この事実を、新聞の購読を楽しみにしている私のような読者はどう解釈したらよいのだろう。記事は通信社が配信したものなのかもしれない。だが、それなら配信元の通信社名の記述があってしかるべきであるが、それは全く見当たらない。このようなことが現実に起きた原因と背景について、説明を求めることは、読者の権利であり、義務ではなかろうか。
新年明けましておめでとうございます。今年最初のテーマは日本人の国際化や、日常の判断業務の効率化に不可欠な「質問」について、取り上げます。
物事を辞書などで調べる機会の多い方は、気づいているかもしれませんが、不思議なことに、西洋の概念を和製化した言葉には特徴があります。それは言葉自体が掲載されていないか、載っていてもその解釈が極端に短くなっているということです。
例えば、“decision making”という西洋の概念は、「意思決定」という大和言葉に置き換えられていますが、広辞苑(多少古いものですが……)では、その言葉すら見当たりません。一方、インターネットの辞書によると、「ある目標を達成するために、複数の選択可能な代替的手段の中から最適なものを選ぶこと」と、あります。一見、的を得た定義に見えますが、言葉が持つ奥深さを鑑みると、内容的に物足りないというのが正直なところです。
また、“problem”という言葉には「問題」という言葉が当てられています。これはさすがに広辞苑に載っていますが、その定義は「問いかけて答えをさせる題」「研究論議して解決すべき事柄」、「争論の材料となる事件」、「解答を要する問」と、これも内容的に貧弱と言わざるを得ません。
そして、解釈の短さは“question”、すなわち「質問」という言葉で顕著となります。広辞苑もインターネットの辞書でも、「疑問点やわからない点を問いただすこと」といった、実に簡単な定義で片付けられています。「質問」という言葉や行為を「軽んじている」といっても過言ではないでしょう。
個人や組織の活動は、意思決定や問題解決の連続です。それを進める上で、情報が重要なことは今さら述べるまでもありません。では、情報を得るためにはどのような手段が考えられるでしょうか。それは、「質問」という行為が大きなウェイトを占めることになります。
プライベートでもビジネスシーンでも、「質問」をすることによって、「問題や課題」、「根拠」、「リスク」、「複数の選択肢」、「優先順位付け」に関する数々の「情報」を得ることができ、意思決定や問題解決につながる道筋を組み立てることができるわけです。
日本の文化には、「問う」という概念はあります。しかし、主に「罪を問いただす、詰問する」(広辞苑)、「その人に罪・責任があるとしてきびしく責める」(インターネットの辞書)といった、判断をする際の「情報を得る行為」とは別次元のネガティブなニュアンスが目立ちます。さらに、「問う」に関連した熟語では、「疑問」、「設問」、「質問」のほかに、「喚問」、「尋問」「詰問」、そして、「拷問」など、人を追い込むようなイメージの言葉が少なくない。その結果日本人は、「質問をする」、「問いかける」という重要な発想と行為を、遠慮したり、躊躇したり、挙句の果てには軽んじるという独特のカルチャーが根付いてしまったといえます。