飯久保廣嗣 Blog

巷では、米国の独善的な振る舞いに対する批判、日本の国際社会での相対的な地位の低下といった現実がある今日に、今後の日米関係をどのように考えたらよいか、という課題が国民的な関心事となっている。

そうした議論が起こるとき、いつも脳裏をよぎるのが4年前の2004年4月3日に、横浜で締結150周年の式典が開催された、日米和親条約の存在である。式典に私は実行委員の一人として携わり、当時の総理大臣・小泉純一郎氏をはじめ、多くの人々が参列したが、そこで改めて、条約締結150年の意味を考えてみた。

そして、気がついたことは、この条約が人類史上、西洋列強が非西洋の国と結んだ条約第一号であるということだった。それ以前では、西洋列強が植民地化した歴史しかないのである。

私の友人であるプリンストン大学の教授が、ちょうどその頃タイ王国とフランスの間に条約が締結された史実があるといったが、その日付を確認したところ、締結年は1856年。つまり、日米和親条約の2年後である。

この和親条約は、西洋のリーダーである米国と、非西洋の先進国たらんとしていた日本が、内容は不平等であったものの、対等な立場で渡り合い、締結に至った。まずこのことを、歴史的事実として再認識したい。

日米関係は、このような運命的な出会いから始まり、それ以来、西洋諸国のリーダーと、非西洋諸国のリーダーとして、お互いの地域を代表してきた。また、第一次世界大戦を同盟国として戦い、第二次世界大戦では敵対し、戦後は63年もの間友好的な関係を維持してきた。

アジアにおける日本の位置づけの議論の中に、日本の軸足を米国一辺倒から中国に移すべきであるというものがある。しかし、これは本質を見誤った考え方だ。心情的には理解できなくもないが、現実的ではない。

日本が国際的なプレゼンスの維持を考えた場合、その基盤として、米国以外を同盟国として選択することがありうるだろうか。ロシアや中国やEUと同盟関係が成り立つことはまず考えにくい。軸足のぶれない日米同盟があってこそ、日本はEUやアジア諸国との友好関係の強化が図れるということを改めて認識したいものだ。