飯久保廣嗣 Blog

2月20日のヘラルド・トリビューン(国際版)の紙面上におけるKaren W. Arensonの記名記事では、プリンストン大学で開発中の新入生に対する新しいプログラムを紹介している。このプログラムは、合格した学生に対し、入学前に海外での社会奉仕を1年間経験させるというもの。目的は、自分自身を発見することと、自分の目で世界の状況を確認することとしている。この1年間の経験により、人間として成長させるとともに、意義のある活動に携わることへの意識も養うというのだ。

優秀な学生の争奪戦が各国で始まっているということも聞く。米国では9・11テロ事件以降、優秀な海外からの留学希望者数が激減した。これに対し、全米の大学関係者は、米国上下院議会に留学生のビザ取得を容易にするための提案をした。そして、フルブライト基金も、理工系留学生に対する新しい制度を設置したそうだ。また、英国では、大学が優秀な留学生に対し年間数百万円の支援をしたり、中国国内で留学フェアを開催したりしているという。フランスでも中国内各都市にフランス語の教育センターを設置するなどの動きがあるとも聞く。

シンガポールでは、MITが分校を開設し、米国並みの教育を提供するということもいわれている。資金は政府が100%出資しているそうだ。

このような世界の潮流に対し、日本も遅まきながら、国を挙げて取り組む姿勢が望まれる。政府もそれなりの施策やプログラムを提供しているようだが、この際、なりふりかまわず、大胆かつ画期的な手を打たないと、技術立国・ニッポンは揺らぐことにある。なぜならば、日本の技術は今後、グローバルな人材が支えなければ、危うくなるからだ。さらに重要なことは量より質である、優秀な留学生に対しては、多額の奨学金を出すことによって、囲い込むという発想も必要であろう。

受け皿としての日本側の大学は、留学生に日本語の習得を強要せず、英語による講義を飛躍的に増やさなければならないだろう。日本語は日本文化の研究者や日本国内だけで長期に仕事をする人間には必要であるが、国際ビジネスマンには重要性は低いと割り切るべきだと思う。