飯久保廣嗣 Blog

2008年06月30日

国の内外にこれほど重要問題を抱えているのに、黙して語らない国民も珍しい。

隣の韓国では対米政策の批判に10万人のデモ。日本は国家の存亡がかかっているというのに、国民は傍観者。国の指導的立場にいる人たちといえば、安直かつ無責任な言動の繰り返し。マスメディアが問題意識を喚起するものの一過性。本質についての議論は欠如。国民はお笑いとバラエティーでガス抜き。そのバカ騒ぎに国会議員や代議士が花を添える。

後期高齢者医療制度に代表される悪法が国会を通過する。問題発生に対して官僚は言い訳。
一刻も早く是正対策、適応対策が必要なのに……

政権交代の模索もいいだろう。財政再建の議論も無論重要だ。しかし、日本丸が浸水し航行不能になり、それを世界社会が軽蔑のまなざしで見ていることを、もっと真剣に考えるべきだ。最も重要な、国としてのビジョン、これからどのような国家を創るのかという「日本国改造論」の議論こそ必要である。

「そんなにいきりたっても無駄だよ」、「言うだけ損だよ」。人は言うかもしれない。しかし、私は発信する。世界社会からこれほど軽蔑され無視されているのに、日本の政府は重要なことを何も言わない。反論もしないし、抗議もしない。国民も借りてきた猫のようにおとなしい。

月刊「選択」6月号の巻頭インタビューで、とんでもない記事を読んだ。「日本は今、国際社会で沈没してしまった、という意識が強い」というインタビュアーのコメントに、「世界の人々の日本への評価は決して低くなく、関心はむしろ強まっている」と、高級官僚が発言していた。その根拠は、「日本語能力検定試験を受ける外国人の数が52万人でTOEFL、TOEICの次に多い」「アニメヤマンガなどへの若者の関心は高まっています」とのこと。これが、すべての責任ある官僚の代表意見でないこと願うばかりだ。

また、「安保理常任理事国入りに世界の大方の国から振り向きもされなかった」という指摘に対しては、「日本がもっと国際貢献、特に国際平和協力に積極参加できる態勢をつくらなければいけないと痛感しましたね」と一言。まるでどこかの国の首相のごとく、完全に他人事である。現在は“東大大学院の客員教授さま”だそうである。

もう一つ論点を提示したい。例の北朝鮮を巡る6カ国協議である。米国はテロ指定解除を6月26日に実施した。拉致問題で具体的な進展があるまで解除に反対という、日本政府の要求は無視された。

今流のコトバを使うなら、日本政府は「KY」であった。米国が勝手すぎると主張しても、世界からは笑いものにされるのがオチだ。日本政府はこのことを予測して、PROBABILITYの推移を判断してシナリオを書く必要があった。
米国がこの通知をしてきたときに、我が政府はどう対応したのか。

・「それは困ります」
・「何とか再考してください」
・「日米関係に悪影響がでます。それでもいいのですか」

と泣き付いたのだろうか。あるいは、

・「このことを事前に北朝鮮に通達しているのか。もしそうであれば、日本に対する背信行為であり、これをどう処理するのか」

とでも言っていれば上出来だろう。詳細をマスメディアが報じてほしいものだ。

そして、この事態を予測したシナリオはなかったのか。米国代表のヒル氏に対し、「もし北朝鮮との関係改善を米国が強引に進めるなら……」

・「北朝鮮に対する経済支援は今後一切凍結する」
・「今後KEDO(朝鮮半島エネルギー開発機構)等の協力はしない」
・「今後国交正常化は積極的に進めない」
・「日本の国民に対して、特に拉致被害者の家族に正式に説明をしてほしい」
・「拉致問題解決に米国はどのように協力するのか」

こうした、通告ややり取りをしたのだろうか。もしあったのなら、国民に開示するべきだろう。国民の知る権利を大切にするメディアから、ことの真相は聞こえてこない。

とにかく、国家改造論の論議を誰かが、どこかで始めてほしい。日本と日本人の威厳及び品位が世界で蹂躙され、国が衰退していくのを傍観していいはずはないと思う。

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2008年06月23日

5月22日に、「消費者行政推進会議」なるものが、発足したと新聞は伝えている。「消費者庁(仮称)」創設のための準備機関としての位置付けのようだ。

これは必要があってのことだろうが、最近この手の推進会議や諮問委員会の類が乱立している。1人の国民から見た場合、これらの会議や委員会が、なぜ設置されたのか、また、普段どう活動し、どう機能しているかが、なかなか見えてこない。国民の税金で設置されているこれらの会議・委員会が不透明なのは由々しき事態ではないか。

そこで、国民の知る権利として、これらの委員会が設立された時点で、次のことを求めたい。

1.当該会議・委員会の目的と機能、将来的にどういった報告書がまとまり、それがどのように使われるかを示す、わかりやすい概要書の提示
2.委員の人選基準の公表
3.委員の任命権の所在、報酬、任期の公表
4.座長の人選基準の公表

まず、これらを国民に開示することが重要となろう。そうでなければ、国民は水面下で知らぬ間に事態が動いているような印象を受けることになる。

さらに、課題や議論のポイント、その時点で見えてきた解決策の提示などを、会議や委員会開催後などのタイミングで、随時国民にわかりやすい形で公表することも必要だろう。誰しもがパッと見て理解できるようなワンペーパーのレポートでいいと思う。それを官邸のホームページなどを通じて、公表するのである(一部あるようだが、まだ不十分である)。

ただし、これらのことを開示してもまだ疑問は残る。それは、多くの場合、任命された委員は、いわゆる有識者が多い。このような会議や委員会にこそ、有識者のほかに、政治家も官僚も一般国民も参加して、多方面から意見をぶつけたらいい。それでこそ、「本物の議論」ができるのではないか。

優れた経営者の視点も欠かせない。学者だけでは、国の「経営」に関する議論はできないと考える。消費者行政推進会議には、経営者も参加しているようだが、国の経営については、よりプロの経営者の参加機会を多くし、実効性の高い提言に結びつけることが肝要となろう。

2008年06月16日

中央省庁の職員と「タクシー接待」の問題を、国民は一体どう考えたらよいのだろうか。こうした人たちが国の行政の中心にいると思うと本当に情けない。何の罪悪感も持たずに繰り返しこのような行動をしてきている人たちが、本当に国を動かしているのだろうか。

そもそも、中央省庁の職員は公務員である。公務員の定義は、「国または地方公共団体の職務を担当し、国民全体に奉仕する者である。中央官庁の公務員は官僚、官吏、役人とも言われ、『特に、国政に影響力を持つ上層の公務員群』のことである」(大辞林より)とある。

「国民に奉仕する者」が、自分の利便のためや特権階級意識を持って行動することに何ら疑問を持たないことは、本当に恐ろしいことだ。このようなことが長年続けられてきた背景には、これを黙認している中央官庁の「組織文化」があるのだろうか。

民間より大所高所から国益と国民のwell being(安全と幸せ)を追求し、それに奉仕するべき立場の人たちが、良識を持っていないのであれば、この国はどうなるのだろう。無論、公務員全体がこのようなことをしているとは思わない。しかし、役所の自浄作用が機能していないと指摘されても開き直りはできない。また、メディアの取材に対し、自身の意見を述べた人もいない。

問題の本質は、こうした組織文化を速やかに是正するための方策を策定し、実施することではないだろうか。

また、問題のもう1つは「目に見えない税金のムダ使い」である。つまり、タクシー接待は役所の残業による副産物であり、その大元の残業の発生を防ぐためにはどのような思考様式が必要かを、追求する必要がある。大臣の国会答弁のための想定問答集の作成などは、本当に必要なのだろうか。

後期高齢者医療制度も実施されると同時に問題が発生している。この作業がまた役所の残業の原因の1つとなる。早期の修正は現状では致し方ない。しかし、ベストは修正を必要としないような制度を構築すること。それが残業の削減にもつながる。

同時に各省の責任者が綱紀粛正のために行動することも求めたい。役人は何をしてもお咎めなしでは済まされない。放置すれば、日本の国力がさらに弱体化するのではないか。

2008年06月09日

刑事訴訟問題、スキャンダル、経済犯罪などで社会的に糾弾された公人(議員や官僚など、公務についている人々―大辞林より)が復活し、世間で大手をふるって活動しているケースが目立つ。この現象を日本の国民が許しているとすれば、それは日本国の民度や国民の質が低下していることの表れではないだろうか

欧米社会では、絶対に見られない現象といっても過言ではない。卑近な例を1つ話そう。

十数年前に、米国の州議会の議員を務め、州の財務を任されていた私の知り合いが、資金運営の不明朗な点を糾弾され、禁固刑となった。

この議員はその後、事実上、公職から追放されることになった。おそらく弁護士を開業したり、企業の幹部として活動するという選択肢は残るかもしれない。しかし、公職に再度就くということを、州民は決して認めないし、本人もその道を選ぼうとはしないだろう。

翻ってわが日本では、疑惑を持たれている人物が、公人として復帰し、堂々とメディアに取り上げられ、その活動ぶりが報道されているのである。この状況を問題として捉えないほど、日本人の公人に対する意識は、低下したのであろうか。

このような状況を改革するためには、まず、マスメディアが良識ある姿勢や態度をとることが肝要である。「復活」「生還」などとちやほやせず、何をやっても全く無視を決め込み、報道しない。こうして社会的に抹殺することが、実は一番効果がある。

国民も、話題にしない、選挙に出ても投票しない。この姿勢を貫く。また、たとえ事件やスキャンダルを起こしてなくても、「知名度こそ選挙に勝利する条件」と思っている候補者は要注意ということを心したいものである。

2008年06月02日

NHKが民放と同じように、お笑いやドラマを盛んに放送している。ドラマはまあいいだろう。しかし、お笑い番組やお笑いタレントを使った情報番組はいかがなものだろうか。

権威ある英国の国営放送BBCが、政治や社会問題など、国家の存続や国民生活に関わる番組に、お笑いタレントを起用することがあるだろうか。また日本のような低俗なお笑い番組を放送することがあるのか。考えにくいと思う。

これは、熟年層に特有な考え方……と思いきや、若い世代の中にも、NHKの世俗化に疑問を持つ人がいた。実は今、私はヒザの手術で都内の病院に入院中だ。その病院の献身的な若い看護師(婦)から次のような意見を聞くことができた。

看護師(婦)は、「NHKがお笑いを前面に出すようになったので、私は受信料を払いません」と、言っていた。理由は、「NHKが良識ある番組を提供することを期待しているから。これは多くの国民の想いではないか」ということだった。

私はこの言葉を聞いて、救われたような気がした。それは、社会に世代を問わず、良識(Good Common Sense)を持つ人がいるということがわかったからである。

NHKの存在価値を、今一度問いたいものである。