飯久保廣嗣 Blog

2008年07月28日

隣国の韓国との間に教科書問題で悶着がまたまた発生している。今回はその内容に触れるのではなく、最近読んだ福田和也著による「地ひらく―石原莞爾と昭和の夢 」(文芸春秋文庫、上巻・下巻)から、そのままある箇所を引用する。

明治43年、日露戦争の結果をうけて韓国を保護国化するために結ばれた第二次日韓条約云々の記述(上巻の107ページ)に続いて……

「全項目について合意をみた日本側と韓国側は、8月22日の午後4時に、『第一条 韓国皇帝陛下ハ韓国全部ニ間スル一切ノ統治権ヲ完全且永久に日本国皇帝陛下ニ譲与ス』に始まる全8条におよぶ併合条約に調印した。

(中略)

初代朝鮮総督として、軍事から立法、警察にいたる全権力を握った寺内は、併合の記念として、三千万円を官民に贈与した。併合時の韓国銀行券の全発行高が一千四百三十三万円の時の三千万円である。配分の内訳は王族、貴族、高級官僚ら功労者には八百二十四万円余り、両班、儒者のなかで高齢のものや孝子、節婦などに五十三万円、全土の三百二十九府郡に一千七百三十九万円余り等である。」

日本が韓国を併合したことが罪悪であり、これに対し日本は韓国に謝罪をし、賠償金を支払ってきたという事実のほかに、日韓併合の記念としてこのような莫大な金額を贈与したという事実もあるようなのだ。

ある国が要求する「正義――Justice」と相手国が考える「正義――Justice」が一致しない場合、公平な立場から、歴史的な事実を教科書でどの様に記載すればよいかは、大いに議論すべきだろう。

また、列強の植民地政策で、宗主国が植民地に上層から下層階級まで満遍なく高額の金銭を贈与した事実は歴史にあるだろうか。これも、検証するテーマといえよう。

2008年07月22日

日本ではどのようにして政治家は生まれるのだろうか。地方議員からステップアップする人、知名度の高い人(中身は別)、高級官僚OB、労働組合出身者、専門職(弁護士・医師など)出身者、企業人、学者からの転進などさまざまだろう。そして、世襲議員も数多く存在する。

ある調査によると現在の福田内閣の18閣僚のうち、世襲議員の大臣はちょうど半分の9人だという。また、衆議院議員の38%が世襲だ。そのほか、中央官庁の高級官僚が地方行政の知事や副知事、そして実力者としてどれくらいいるのかも知りたいものである。

政治は単純に企業経営と比較できないにしても、多くの企業の場合、創業社長は単に自分の子息だからといって後継者にはしない。その理由は皆さんに考えてほしい。自明のことである。

海外ではどうか。米国では、地方議員はさておき、連邦議員に上がるプロセスは多くの場合が下記となるようである。

1.大学時代に政治や国政に関心を持った優秀な人材が、夏季休暇などを利用して連邦の上・下院議員事務所やホワイトハウスでインターンとして働く。
2.政治・国政に継続した関心があると、大学院で政治学や国際関係論を学び修士を取る。または、ロースクールで弁護士資格を取る。
3.上・下院議員のスタッフとなるか、政策研究機関で働く。
4.実績と実力があれば、有力議員の政策立案スタッフとなり、法律や政策の策定をする。
5.州議員を経て、あるいは直接に連邦議員となっていく。

このように、政治のビヘービュアや政策立案の能力を充分に身に付けた人たちが国の経営を担うための議員として選出されていく。また、米国の場合、世襲は稀なことだ。ブッシュ親子は例外である。

他の主要国のシステムは知らないが、米国ではこのようになっている。だから、立法府が充分に機能し、職業官僚は政策立案には関与しない場合が多い。また、主要省庁の官僚は政権が変わると総入れ替えとなる。このため、恒例、前例などに気を使うことなく、目的を達成するための最適な法案をほとんど純粋に作ることができるわけだ。幾分の折衝はあるにしても……。

我々は、現状を傍観していていいのだろうか。ジャーナリストの方には頑張っていただきたい。
日本はエズラ・ボーゲルさんのいうような、「ナンバーワン」を目指必要はない。しかし、永田町と霞ヶ関の行動様式と思考様式に任せていると、国民生活はどの様な結果(Consequence)になるのか、よく考えたい。

2008年07月14日

最近の中央官庁の不祥事やその顛末を見ると、これはまさに「官尊民卑」を絵に描いたようなものといわざるを得ない。官僚の損得だけを重視し優先させ、国民はそれに従うものとしているのである。

官である公僕(公衆に奉仕する者。あるべき姿としての、公務員-大事林)には、自分たちの判断が常に正しく、国民はそれに従うものという自負がある。中央官庁の官僚が真に国民のwell Being(安全と安定)を優先し、さらに国民のために自己犠牲の精神を持っていれば、それも成り立つだろう。しかし、現実はどうか。絶望的である。

わが国の制度の中に会計監査院がある。この機関を強化し、税金の無駄使いを徹底的に追及するということはできないものだろか。おそらくそれは無理であろう。ではどうするか。

こんな素人の発想はどうだろう。絶対的な権限を持った強力な内部監査機関を全ての省庁に創設するのである。その機関の目的は、綱紀の粛正である。そうはいっても、大げさなことでなく、

●官僚が本来の仕事に集中できる環境を整えること。
●不正を抑制し犯罪的な行為に対しては国民が納得する処分をすること。
●国の意思決定コストを削減すること(税金のムダ使いを抑制する)。
●透明性を確保すること。

そして、最も重要な目的は、

●当該省庁の行政活動の評価を下すこと。

国民を混乱させ、国民に不利益な事態が発生した場合には、直ちに是正するための処置を勧告し、実施させるのである。

民間企業には、J-SOXという内部統制制度を導入した。官にも内部監査制度を導入し、1つお手本を示したらいかがだろうか。

技術的に難しい問題があることは覚悟の上である。それらの問題を1つずつ分析し、対策を予め講じ、制度を確立していくことがポイントとなる。そして、制度確立の過程を透明にすることも重要だ。

また、この内部監査の責任者とチームをどのように編成するかも大きな課題だ。適任者は日本にはおそらくいないだろう。そうであれば、国際社会から招聘することを考えたい。民間では既に実績がある。日産のカルロス・ゴーン氏である。

その昔、明治政府は「お雇い外人」を活用した。George Williams というアメリカ人が招聘され日本の金融制度を確立したのが好例だ。この人物には3万ドルという高額の年俸が提供され,た(当時では破格だ)。執事から御者まで引き連れて来日したとの記録もある。

日本に対する世界の評価が低迷している背景の1つに、日本政府の生産性の低さが指摘されている。中央官庁が大改革を外部の血を入れて断行すれば、国際社会は日本に対して期待をし、注目するのではないか。
またお雇い外人を招聘するとなると、外務省、財務省、経産省といった国家機密に関わる機関は難しくなる。そこで、まずは厚生労働省、国土建設省などから始めてはどうか。国の経営を国民から付託された政治家でさえ手に負えない状況だ。これ以上国家が荒廃し滅亡の道を歩む前に手を打ってほしい。真に国益を考えている多くの官僚が、良識を持って建設的に仕事ができる環境を創っていただきたいのである。

2008年07月07日

最近、何らかの「ボランティア」に参加したいという熟年層が増えている。そのような発想自体は実に結構なことだ。「定年退職をして何か役に立ちたい」、「生きがいがある生活をしたい」、「ボケ防止に今までの経験を活かしたい」など、動機は様々なようだ。

過日、私の親友とゆっくり話す機会があった。「これからは大いに“Public Service”をやろうじゃないか」、と彼はいった。彼はあえて「ボランティア」という言葉は使わなかった。

そこで、この2つの言葉の違いが何であるかを考えた。大辞林によるとボランティアの意味は、「自発的にある事業に参加するひと。特に、社会事業活動に無報酬で参加する人。篤志奉仕家」となっている。

しかし、日本ではボランティアというと、単に前段の「自発的にある事業に参加するひと」を指す場合が多い。現に団体の多くはボランティアに対し、交通費を支払ったり、昼食を出したりする。

ボランティアは、字引の後段にある「社会事業活動に無報酬で参加する人。篤志奉仕家」、つまり、“Public Service”の担い手というのが、本来の姿であるはずだ。だが、実態は乖離している。だから、親友は、「ボランティア」と、いわなかったのだろう。

真にボランティアを志すのであれば、「無報酬」、「篤志奉仕家」の立場を徹底することが肝要ではなかろうか。10年以上前の神戸淡路大震災に日本各地から多くのボランティアが終結した。彼らは交通費はもとより食費や滞在費も自腹でまかなったときく。これが正しいPublic Serviceであり、ボランティアである。

結論的にいうならば、ボランティアを志向することは自己犠牲が伴うということである。単に時間があるからといった軽い気持だけでは良い仕事はできない。自己犠牲は、時間だけではなく、経済的な出費を含むことを認識したい。それでこそPublic Serviceが社会にインパクトを与え、人々の心を、行動を、変えていくのではないか。

また、NPOやNGOを名乗る団体も増えてきた。純粋に社会のためになる活動を目指す団体がある一方、犯罪歴を持つような人たちが理事になっているものもある。また、政府からの予算を取り付けることを主なる目的としている団体もある。善意のボランティアが迷惑を被らないように、政府には何らかの対策を求めたい。