飯久保廣嗣 Blog

なぜ、世の中が良い方向に行かないのか。
なぜ、教育改革が進まないか。
なぜ、税金の無駄が是正されないか。
なぜ、指示待ち人間が多いのか。
なぜ、的確な提案が上がってこないのか。
なぜ、問題が大きくなってから、幹部やトップに上がってくるのか――。

ものごとを決めなければ、何も変わらない。何も変わらなければ、何も動かない。

「意思決定」という言葉は外来語である。おそらく、太平洋戦争直後に、色々な言葉や考え方が米国から到来する中、「デシジョンメイキング」という言葉も輸入され、それが、「意思決定」という日本語に置き換わったのだろう。

ところで、「意思決定」の定義をするようにと言われたら、あなたはどのように答えるだろうか。「決めることだ」、「腹をくくることだ」、「意思決定は意思決定だ」……。あるいは、「下らないことを聞くな!」となるかもしれない。

現実的な定義は「ある案件に対して最も適切な手段を選ぶことである」となる。「適切な新規事業を選ぶ」、「最適な組織を立案する」、「町おこしの目玉を選ぶ」などであり、人間やその集団は、誰でも常に「意思決定」により選択をして、生活を営んでいる。

ただし、「意思決定」は前述の通り、外来語である。そうであるならば、日本人はそれ以前に「選ぶ」という行為をどのように表現していたのだろうか。

わが先達たちは、何と3つの異なった概念を使い分けていたようだ。

それは、「極む」、「決む」、「定む」である。「極む」はものごとの極点に到達することであり、「将来を見極めること」と言い換えることもできる。それは、今日のこれも外来語である「戦略」に近いのかもしれない。「究極の目的を達成するために、何に重点投資をするのか」ということである。

次ぎの「決む」は、単に決心を表すものであろう。自分の信念や経験から意志を固めるのである。

そして最後の、「定む」は広辞苑による1つの定義に「おさまること」とある。これは複数の選択肢や意見を1つに収斂することであり、その根本には「選ぶ」という概念があると考えてよいのではないか。この「おさまる」が「複数選択肢から選ぶ」ということであれば、これこそが、グローバルに定着している「意思決定」そのものであると見てよいだろう。実は、日本の先達も、外来語が上陸する前に、「意思決定」をしていたのである。

このように、われわれが恒常的に使っている重要用語の定義や背景を明確にしないと、コミュニケーションに齟齬を起こすこともあるかもしれない。国際的な意思疎通の齟齬は命取りになりかねない。重要用語で注意したいものの中には、ほかにも、REASONと理由、OBJECTIVEと目標、COSEQUENCEと結果、TOOLと道具、などかなりあるのではないか。機会を見てまた述べてみたい。

「意思決定」は単に論理的に取り組めばいいというものでもない。日本には意思決定の名人がいる。暗算思考で結論を出す人もいる。的確な判断がなされているのに、ものごとを愚直なまでに分析しようとする西洋人と違い、名人や暗算思考の結論は正しい場合が多い。この名人芸は命がけであり、私利私欲がなく、腹が据わっているのが特徴だ。

この自分の経験や直感による意思決定も、引き続き、尊重されるべきだろう。ただし、今後は具体的な現象に対するセーフティネットも設けたい。

それは、その結論が有効な結果を出すために、「それが実行された場合にどんな問題が想定されるか」、また、「それらに対して適切な事前の対策がなされているか」を考えておくことである。これがあると、決めることは磐石になり、見直しという堂々巡りを未然に防げる。つまり、事前に熟考されている「シナリオ」に切り替えることができるのである。