40年前IBMは“THINK”を標語にした。あれだけものごとを考えるアメリカ人が「今さら“THINK”とは?」と、疑問を感じた人も非常に多くいた。当時の日本社会も「シンク」が流行。ただ、「シンク」の範囲や目的を吟味しないで、スローガンとしてうたうだけでは何の効果は出ない。そのうち、日本では、ブームが過ぎ去った。
ところが、米国では、今日でも“THINK”を重要視する。特に中等・高等教育においてである。様々な科目に「クリティカル・シンキング」という切口を入れて、教育している。具体的な教え方については、手持ちの資料がないので明確には示せないが、それは、ただ漠然と「考えなさい」と言っているのでないようだ。
聞くところによると、米国の教師は、「自分で考え、結論を出す力」を教えているようだ。そこには倫理的な視点、善悪の要素はほとんどない。シンプルにいえば、「因果関係」と「判断の根拠」について、それらを明らかにするためのフレームワークを教えているのである。
「どうして、そのように考えるのか」、「もっと他の方法はないか」、「そんなことしたら、どんな結果になるのか」、「その結果について責任は取れるのか」。そういったことを、各科目の中で、教師が考えさせているようだ。
「知識偏重」、「知識詰め込み」しか頭にない教師には、その意義が理解できないかもしれない。ある教師は「そんなことに時間をかけると受験試験に不利になる」と、言うだろう。また、「なぜ、この科目の勉強が必要なのか」と生徒に聞かれても、「それは、入試の科目にあるからだ」と、答えるのかもしれない。
その考え方や答えに、自分で自分の意見を形成しようとしている、納得しようとしている生徒は気勢をそがれる。その結果、何も考えない知識のムシが社会の優等生として尊重される。それらの優等生が国民の税金で運営される国立大学から、社会に出て行く。自分で仕事をクリエイトできない「優秀」といわれる集団が形成されていく……。
そんな背景が米国にもあったかどうかは知らないが、世界のIBMは社員に対し、あえて“THINK”を言い出した。そのココロは次のようなものだったのだろう。
●何か問題が起きたときに、先入観で判断した間違った対策によって、経営資源を無駄にするなよ
●原因を論理的に検証してから対策を講じるようにしろよ
また、こういうメッセージも込められていたかもしれない。
●やたらに、思いつきで判断するなよ
●その判断の根拠をとことん考えろよ
●実施する時の問題点を予め考えて、手を打っとけよ
●道中、問題が起きたら予め考えていたcontingencyに切り替えろよ
●いい話にはとことん疑いを持ってかかれよ
●「短絡」や「思い込み」は怖いよ、組織がギクシャクするよ
●だから、筋道を立てて、堂々巡りのない、論理的な考えを身に付けろよ ……
グローバル化の日本でも、今こそ「シンク」ではなく、“THINK”への対応が必要なのである。