飯久保廣嗣 Blog

最近、「抜本的な見直し」という表現が目立つ。特に政治や行政の世界では、この言葉を聞く機会が多い。民間企業の意思決定であまり使われない表現だ。

だが、民間企業でも「見直し」という表現は使われる。「見直し」の本質的な意味は、「いったん決定され、実行されたことに何らかの問題が発生し、このことを修正するために、対策を考え、行動する」ということになる。

目に見える製品であれば、この見直しは「設計の変更」ということであり、部品の交換などが考えられる。事態が深刻であれば、リコールということにもなる。これは、不良商品の「見直し」をして、改善することに他ならない。製造現場でのこの事態は深刻であり、企業の業績に直接反映してくることになる。

この現象を別の表現を使えば、「不良商品を生産・販売し、顧客に迷惑をかけ、世の中をお騒がわせした」ということになる。当事者には社会から圧力がかかり、謝罪が要求される。

しかし、政府の政策に不具合が発生し国民が迷惑をこうむった場合はどうなるか。これが不思議なことに、「抜本的な見直し」のひと言で許されてしまうのだ。

この抜本的な見直しの根底にあるもの、それは「意思決定の不良」である。従って、見直しをする場合、「なぜそのような不良が起きたのか」といった原因を明確にしなければ、再発防止策を作ることなど到底できない。抜本的な見直しを発表する際によく使われる「二度とこのようなことにならないように……」という言葉は、本来、原因が明らかになっていなければ、常識的にはいえるものではないはずだ。だが、現実には原因不明確なまま、言葉だけがひとり歩きする。

「今回の抜本的な見直しに至った原因は、「……」、「……」といった検討項目に抜け漏れがあり、さらに、実施上の計画である「……」、「……」に無理があった。従って、そこを改善するために、修正案は「……」、「……」といったものになる」となれば、納得がいく。国民も、メディアも、もっと論理的に本質に迫りたいものだ。

また、政府の政策の「抜本的な見直し」が生じる、つまり「政府の意思決定の不良」が発生すると、その修正のための費用(役人の作業費、制度変更のコストなど)は、やはり国民の税金から負担することになる。これからの時代は目に見える税金のムダ使いだけでなく、目に見えない「抜本的な見直し」にかけられる税金のムダも考える時代となろう。