飯久保廣嗣 Blog

10月16日の米国大統領候補の最終ディベートをサンフランシスコで聴いた。我国のメディアはテレビ討論と報道しているが、その実態はディベートである。これは特定の課題について2人の大統領候補が1人の司会者の質問に対して討議を展開し、その討議を第三者が評価をして、どちらが優勢であったかを判断することで完結する。

すなわち、端的に言えば、個別のテーマの両者の主張に対する優劣を聴衆が決めて、それを定量化して市民に提供するのである。オバマ53%、マケイン48%などと発表される。

ここで注意したいのはこれらの数字は世論調査の支持率とは全く違うということである。だから我々が日本で数字だけを見て単純に支持率と考えることは危険なのである。また、このディベートの判断は、開催された会場以外に、各地でなされることにも注目したい。

民主主義における選挙に対する有権者の姿勢には、かなり真剣なものを感じた。ディベートにおいては、1つの案件に対して両者が見解を述べて、それに両者が反論し、相違点を浮き彫りにする。ほとんど感情的なやり取りはなく、聴いていて実に知的である。この冷静で知的で本質に迫る理性的な両者の主張を、司会者が視聴者の立場になって、巧みに捌くのである。

米国の大統領選挙からは、直接選挙制という違いがあるものの、最近の日本の選挙には見られない姿勢を感じる。国民と国家が直面する重大課題に対して、候補者の立場と主張(ソリューション)を明確に開示している。

選挙をする際に、候補者が何を考え政治理念としているか、候補者間の違いは何かなどの情報がほとんどないままに、投票しなければならない日本の現実が、国民の政治離れの原因になっているのかもしれない。政見放送や立会討論会(討論会は一部かもしれない)が選挙直前になされるものの、そこで争点や考え方の違いが浮き彫りになることはほとんどないのではないか。候補者に対して質問をする機会もない。このような状況で有権者はどのようにして主体的な判断をすればよいのか。

米国の大統領選並みにとは言わないが、小選挙区制をとる日本において、選挙区ごとに候補者を集めた本格的な立会討論会を複数回開催することを考える必要がある。またその様子や結果を有権者に着実に伝達できるような仕掛けも重要。これらは日本の民主主義の健全な発展のために不可欠だ。

今回の米国大統領候補のpresidential debateを聴いて、そう感じた。念を入れて特筆したいことは、両候補も国民と国益に対してどのような立場で政治に取り組むかについて、非常に明確な主張をしていたことである。
なお、日本では両者間、両党間にかなりの中傷合戦があったと報道されているが、これは、両党が展開するテレビ広告でのことである。presidential debateではこのような中傷は面と向かってはなかったことを最後に付け加えておきたい。