日本の企業経営が大きな転換期を迎える中、戦後の知識偏重社会の限界を多くの人が感じている。「追いつけ、追い越せ」の時代では、欧米の先進国に問題の答えがあり、これを「知識」として輸入し、問題解決を図ってきた。それと同時に、問題解決の名人が組織には存在して、彼らの名人芸とでも言える判断力によって適切な行動が可能であった。
しかし、キャッチアップの時代は終わり、我々は主体的に意思決定をする必要性が生じている。それにも関らず、科学的で体系的な思考体系が確立されていないため、未だに成しえていない。それが社会的な混乱の背景である。その結果、変化への対応、リスクへの事前対策、意思決定などが極端に遅延し、問題の先送りが起きているのが現実ではなかろうか。
人類の歴史は問題解決の歴史である。今は、従来の名人によるKKD(経験・カン・度胸)では適切な判断業務ができないということになり、昨今は「論理思考による問題解決」がブームである。米国の科学的な経営技法を取り入れ、日本的経営を変革しようと社会を挙げて取り組んでいる。「経験とカンと度胸で経営判断をすることは危険であるから、論理的に思考しろ」というわけである。
米国流経営技法の1つの見方を端的に言うならば、「経営が直面する全ての課題を論理的に分析し、高等数学とコンピュタを駆使して、合理的に問題を解決しよう」ということになる。ただし、この技法がオールマイティであるかのような神話は、昨今の米国発の経済危機で見事に崩れ去った。
「論理と合理性は万能であり、KKDは不要である」かのごとき風潮に筆者は疑問を持つ。経営上で重要な案件に際し、「論理的に分析して出された結論」と、「経験ある経営者の判断」が対立したらどうするのか。米国ではおそらく論理的な結論を採用するであろう。
だが、高度で複雑な方程式と膨大なデータを駆使して確立された「財政工学」が、今この瞬間に何を社会にもたらしているかをみれば、経営の判断業務にKKDも必要なことは明白である。
従って、米国流経営技法万能主義が崩れた今、必要なのは、日本的なKKDも生かした意思決定である。すなわち、従来名人芸とされてきたKKDを誰でも使えるように標準化し、重要な経営場面でツールとして活用できるように整備することがポイントとなる。
日本の社会が支払っている「意思決定のコスト」は他の主要国に比べて桁外れに高い。その結果、日本の国際競争力は、スイスのIMDによる「2007年世界競争力年鑑」によれば、世界50カ国の中で24番と低迷している。従来からの論理的思考に加え、KKDも標準化して取り入れ、新たな意思決定の技法として確立・普及させることが、焦眉の急だと筆者は考える。そうした独自のアプローチこそ、競争力向上の源泉となる。