2008年10月23日付けの日経新聞朝刊のトップ面に、医療問題についての記事があった。これは医療事故に関する調査方法が迷走しているといった内容である。その中の一部を引用したい。
厚生労働省医療安全推進室長の佐原康之(44)は「日本の医療制度は医療事故があることを前提に設計していなかった」と認める。
この引用からは、日本人の思考様式の欠陥が如実に現れている。それにも関わらず、読者も記者も事の重大性に気が付いていないように思える。
「医療事故があることを前提に設計していなかった」ということは、次の3つの重大な思考上の欠陥を生む。
第1に、「もし事故が起きた場合に、隠蔽せざるを得ない」という、組織の隠蔽体質を醸成してしまう。
第2に、「発覚したときに、組織の防衛のために、組織ぐるみで徹底的な否定に走る」という現象を起こす。
第3は、「再発防止の方策が、中途半端なものになる」。これは、事故の真の原因を追究する姿勢が薄いために起こる。
例えば、自分の子供が期末試験を受ける際に、親が「絶対に及第点を取れるね」と子供に確認したとする。これは「事故が起きない」ということを前提としていることと等しい。もし及第点を取れなければ、子供は成績表を隠す。隠し通せなければ、理由をつけて自分の非を認めない。そうなると、「なぜ及第点が取れなかったか」という分析よりも感情的に「追試験はがんばりなさい」と念押しすることになり、おそらく本当の問題が未解決のままとなるだろう。
これは、「日本人の完ぺき主義」、「ミスを認めることを恥とする文化」、「敗者復活の発想が薄いこと」などが背景にある。まずこのような思考様式の特質を認識することから始める必要がある。特に、政策や法律を作る中央官僚や政治家に、強く認識を持ってもらいたいものだ。
「問題は起こり得る」という前提から諸対策を講じていくほうが合理的であり、抜け漏れが防止でき、発生時の対応が容易になる。このことは、企業においても問題点を予め想定することにより、陰湿な内部告発的な動きを防ぐことにもつながる。告発する内容が予め想定されていれば、もし発生しても告発する必要性はなくなる。つまり、「このような問題が起きるかもしれない」とガラス張りにし、予め対策を練っておけば、問題発生時にその対策を実施すればいいだけの話ではないだろうか。
無論、実態は問題が錯綜し、複雑化するのが現実だろう。しかし、このような発想法を意識していれば、問題解決や意思決定のコスト削減につながるのではないか。