日本にとって非常に重要な選挙が来年にも実施されようとしている。
では改めて考えたいのだが、「選挙」って何だろう?
それは、「国民に代わって国政を任せる人に投票する」ということだ。では、投票するってことの本質は何だろう? それは、「良さそうな人を選ぶ」ということだ。
さて、その「良さそうな人」とはどんな人なのかな。そこがよく分からない。そして、「選ぶ」というのはどんな行為なのだろう。日本人も選挙に関してこれらの本質を考える必要があると思う。
「見た目や性格が良さそうな人だから」だけで、国会に送るということが、どんな結果を生んできたか、よく考えてみよう。国民不在、国益不在、国力の低下を招いている。
選挙は投票すること。投票することの本質は「選ぶ」こと。選ぶためには何が必要か。その人の経歴や過去の実績、功績を知らなくてはならない。その情報をどうやって国民が知ることができるのか。
例えば、自分は「山田太郎」に投票する。ではなぜ、山田さんなの? 「良さそうな人だから」、「人に頼まれたから」、「なんとなく」、「有名人だから」、「テレビによく出て発言するから」、「前にも投票したから」、「代議士の子供だから」、「人相が良いから」、「熱心だから」……果たして投票に対する基準がこんなものでよいのか。
選ぶということは、複数の候補者を比較して1人を決めるということ。従って、比較するための、基準、「物差し」が必要だ。例えば、「自分の信念があるかないか」に対して、山田さんともう1人の中村さんはどうか。その他「カネにきれいである」、「利権をむさぼっているか」、「選挙献金の方法は?」、「国会での主張は?」など、比較することを考えると、「なぜ、山田さんなのか」に対して、答えることが出てくる。つまり、「山田さんは、信念があって、カネにきれいで、選挙献金はガラス張りで、利権には関係ない人だから」と、いうことができる。
しかし、これらの情報を得る方法がないのが現状である。あるのは、限られた政治家が出るテレビ番組と新聞記事ぐらいだ。選挙を真剣に考えていた時代は、自らの政策を披露する「立会演説会」が数多く見られたが、今はほとんどない。これらを復活させて我々が国政を任せる候補者が、どのような能力があり、どのような思想を持ち、どのような政策を推進しようとしているのかを知らしめる方法を講じないと、日本人が日本の選挙、日本の政治を「考える」ことを放棄してしまう集団になってしまう。いや、その放棄は既に以前から始まり、もう重症なレベルまで来ている。そのことを深刻に受け止めたい。