激動の時代を迎えるにあたり、新年のご挨拶を申し上げます。今後とも飯久保廣嗣のブログをよろしくお願いいたします。さて、新年最初のブログは、「日本の問題解決力」について、ひと言意見を述べたいと思います。
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前駐米日本大使で現プロ野球コミッショナーの加藤良三氏はある講演会で、「米国の強みの1つとして“問題解決能力があること”を認めなければならない」と、述べている。そして、チャーチルの発言を引用して、「アメリカは大事なとき、ここぞという時に正しい決断をする国だ。但しそこにたどり着くまでにはあらゆる間違った選択肢を尽くすところが問題だ」と、指摘している。
また、昨年、ある民放の討論会で、八代政基新生銀行社長は、「日本経済再生のためには、
あるべき姿に対しての議論も重要だが、直面している問題を明確にして、先送りすることなく解決することも重要だ」と、提言している。そして、ソニーの創立者の一人である盛田昭夫氏は、「日本はプロブレム・ソルビング(Problem Solving)の力をもっとつけなければならない)と、生前に度々言われた。
学者、識者は、現状に対する論評やあるべき姿についての議論はなされるものの、具体的な問題解決の議論はなされないケースが多いのではないか。すなわち、
・あるべき姿と現実の間にある諸乖離や諸ギャップを見出す
・それらを克服し、目的を達成するための諸解決策を考え、そのなかからベストの選択肢を選ぶ
・それを、八代社長が言われるように先送りする事なしに実行する
・その際、実行した場合に起こるかもしれない諸問題点を想定し、諸対策を予め講じておく(問題が起きてからどのように対応するかを論じるのでは遅い)
などのアプローチやプロセスが欠落しているため、日本ではここぞの正しい判断ができず、問題解決が遅々として進まないことが多いのである。
「日本はアメリカの言いなり」と未だに言われる理由にも、日本が問題解決者としての主体的な提言や、日本独自の問題解決に対する選択肢を提示していないことが、その背景にあるのではないだろうか。米国や世界社会の日本への要求に対し、いたずらに“NO”、“NO”の繰り返しでは、問題解決者として同じ土俵に乗ることはできないのである。