ますます元気がなくなる日本で、「リスクテイキングを果敢にやれ」というスローガンがよく聞かれる。「リスクのないところに益なし」ではあるが、闇雲にリスクテイキングすることは、それこそリスクが大きい。リスクの単純な定義は、「起こり得る損害」、「起こり得る損傷」、「起こり得る損失」の3つとなる。3つの違いは、損害はDamage、損傷はInjury、損失はLossである。余談だが、機会損失はOpportunity Lossとなる。
リスクを取るということは、上記のような現象を想定して、それらに有効な対策を講じるという一連の行為を指す。リスクの取りっ放しではいくら経営資源があってももたない。リスクへの対応は、上記の損害、損傷、損失を起こり得る現象として想定することからはじまる。
例えば、金融商品を購入する場合では、損失が発生することがリスクになる。金融用語では、リスクヘッジといわれる対策を講じることになる。これは常識であるが、金融機関などは主に実施しているものの、個人では疎かになっているケースがほとんどではないだろうか。
また、株式投資も、リスクを取る際の一連の行為が必要となる。この場合、株式の相場の下落を予防する対策はない。したがって、株価が下落した場合の状態を想定し、どのような対応をするかを予め決めておくことが、リスクテイキングの重要な要素となる。
このようにただリスクを取るだけでなく、起きた場合の対策を含めなければリスクテイキングにならないのである。この場合の対策は、発生するかもしれないダメージやロスを最小限に抑えるための備えである。株式投資で言えば、持っている銘柄が○○%下落したときに、発動するコンティンジェンシー計画を持っておくである。このコンティンジェンシーは当然状況に応じて見直す必要がある。
日本人がリスクテイキングをしない背景の1つは、このコンティンジェンシーの発想が薄いからである。つまり、「問題が起きたらいけない」と考え、思考停止に陥ることにより、結果的にリスクを取らないことが安全と考えてしまうのである。例えば、株式で言えば、相場の下落を防ぐ予防対策はなく、上記のコンティンジェンシーの発想がないために、ますますリスクテイキングしないことになるのではないか。
もう1つは、「問題を起こしたらいけない」という非現実的な発想が根底にあることも否めない。直近の例で言えば、海上自衛隊の艦船は絶対に事故を起こしてはいけない。原子力発電所は、絶対にどんなミスも起こしてはいけない。大企業は絶対に不祥事を起こしてはいけない、などが挙げられる。
こうした発想が起こるのは、原子力発電は「危険か、安全か」という設問をすることに原因がある。当事者がこのような質問を受ければ、当然「安全」といわざるを得ない。安全といってしまっては、事故が発生した時点でそれを開示することはできなくなる。すなわち隠蔽することとなる。
この発想を転換するためには、設問を変えなければならない。例えば、「危険か、安全か」から、「安全を確保するためにどのような対策を講じているか?」、「万が一事故が発生した場合の対策にはどのようなものがあるか?」などに変えることである。起こり得る問題を未然に防ぐための予防対策と、発生したときのコンティンジェンシー対策を個別に設定することが肝要である。