飯久保廣嗣 Blog

なぜ日本は米国に追随・追従していると思われているか?

日本の対米追随・追従が言われて久しい。多くの原因の中で2~3の例あげると、その1つは日本人の意思決定の迅速性と精度が低いため、アメリカのペースとの間に大きなギャップが生まれるからである。日本側が分析をしている間に、米国側は結論を出してしまう。これが1つの原因である。

2つ目の原因は、日本人の意思決定に対する思考様式の特性である。特に、二者択一という発想から逃れることができないのが日本人の発想である。つまり、イエスかノーから発展しないのである。欧米がある件に対して意見を求めてきた時に、イエスかノーかでしか判断できない。本来は、決定事項の本質を考えて、新しい選択肢を提示しなければならない。

かなり前の話だが、ソニーの当時の盛田昭夫会長と現石原都知事の共著があった。タイトルは『「NO(ノー)」と言える日本』であったと思う。著者の本来の意図は、日本の意志を明確に米国に示すことであった。この意志の中には、当該問題に対して、「日本はこう考える」という日本の主張を相手に発信することも含まれていたはずだ。

10年ほど前に、ある日本の大新聞は、その年の正月に一面のトップで外国の首脳に、日本のあるべき姿について取材をし、それを掲載した。また、ある経済雑誌は、バブル崩壊後の平成不況の始まりのときに、米GE社の当時のCEOであったジャック・ウェルチ氏に日本産業界に対する提言を取材し、これも大々的に掲載した。このような日本のメンタリティは日本が主体的に自主的に意思決定をする姿勢を示唆していない。

3つ目の原因は、日本が世界社会で、「問題解決者」としての意識が薄いのでは、ということだ。これは積極的な国際貢献の第一歩である。方法や方策に短絡にて、金銭的な協力を国際貢献と考えるのは間違いである。経済的に小国であるデンマークは国際紛争に対して調停などで実績を上げている。

問題解決者は、米国のジョセフ・ナイ博士がいった「コンテクチュアル・インテリジェンス」と中国にある「智力」の概念を理解することが重要だ。すなわち、当該問題に対する十分な知識がなくても、全体像を把握し、本質をおさえ、問題解決ができる能力を重視し、その習得に努めることが肝要ということである。この概念が一時日本でも注目された「コンセプチュアル・スキル」なのである。