飯久保廣嗣 Blog

1980年代の前半は、アメリカの製造業が衰退していた時代だった。日本のメーカーよりも製品の品質、生産性が低く、苦しんでいた。そこで、私は、トリゴー氏に対して、日本の経営の知恵を集大成して、米国の企業に供するという提案をした。しかし、トリゴー氏は関心を示さなかった。それと同時に、KT法も日本の経営風土に合わせた商品にするべきであると、進言したが、これも取り上げるに至らなかった。

一方、ケプナー氏とは、この状況をとゆっくりと話す機会を得て、「ラショナル思考というのは、人類の財産である。それを国情に合わせて展開することが、王道である」ということで意見が一致した。

そのころ、ケプナー氏自身も、自分が創業した会社ではあったKT社を去る決断をされていたので、私は、KT法の日本に合った展開を、ケプナー氏の強力な支援によって、推進することができた。余談になるが、私からプログラム名を「KI法にしよう」という考えを示したが、ケプナー氏は反対された。その根拠は、「ラショナル思考は固有な組織や個人が独占するものではない」ということである。

1982年に、私とケプナー氏はKT社を退社し、その後、ケプナー氏はケプナー・アソシエイツを設立、私は、デシジョンシステムを創立した。そして、共同で「EM法」(EM=“Effective Management”)を開発したのである。

EM法の実績の1つは、JR東日本に対する導入である。国鉄から民営化されたJR東日本が、教育に力を入れたのは言うまでもない。国鉄時代は、全国の国鉄職員40数万人をマネージしていたのが、本社の1000人の精鋭であるといわれていた。民営化された後のJR東日本は、行動様式の改革に力を注いだ。たまたま知人を介して教育の責任者と会うことできたので、私はこのように申し上げた。「行動様式と同時に思考様式の変革が必要ではないか」と。

教育責任者はEM法に関心を示した。そして、JR東日本の各部門の企画課長会議で、2時間の時間を研修に割いていただけることになった。その反響を見た上で、社内での展開を判断するという運びとなった。結果として、その研修は高く評価された。そこで次は各部門の部長に対し研修を実施し、同じく高評価を得られた。その結果、暫時係長、課長に対しても、展開することになった。ちなみに、当時の人事担当取締役は、現在の会長である大塚陸毅氏であった。

JR東日本へは、EM法のある程度の貢献があったと自負している。しかし、それは、前号で記述したホンダの一気呵成なグループ会社を含む展開とは異なり、あくまで、能力開発のプログラムとしての位置付けだった。