飯久保廣嗣 Blog

2009年04月28日

昨日まで2週間ほど米国に出張した。ご他聞に漏れずGMの工場閉鎖、各社の人員整理などあまり明るい話題はなかった。そして、各地でお目にかかった日本人の友人は、日本の現状を憂い、このままでは日本は米国人の関心外になるだろうという。日本からの発信がないことが大きな原因であろう。

口下手で自己宣伝ができない日本が優れた商品によって発信し、ODA等の経済力で存在感を示してきたが、これからは肩身が狭い思いがしばらく続くことになろう。

ところで、オバマ政権の初めての閣僚会議が発足約100日後やっと開かれた。この閣僚メンバーを見ると、これが本当にアメリカ政府の閣僚メンバーかと、目を疑うほどの陣容だ。全く新しい時代の幕開けである。

閣僚21名の中で、白人(White)の男性は僅か8名の38%しかいないのである。黒人(Black)が男女合わせて4名、東洋(Asia)が3名、メキシコ系(Hispanic)が2名、そして白人女性4名という陣容である。最年長がロバート・ゲイツ国防長官(65)、最年少がスーザン・ライス国連大使(44)である。ちなみに、ガイトナー財務長官は47歳、オバマ大統領は8月に47歳になる。

多民族国家のアメリカであっても、依然白人が多くを占める。いくら、民主主義で選ばれた大統領とはいえこのような閣僚の布陣を引いて、米国の世論はこれをどのように評価するのか関心をもって帰途についた。

帰りの機上で大統領就任100日目の世論調査を目にした。4月24日のUSA TODAY / ギャロップの結果は、56%が最高の評価(Excellent or Good)であり、20%が最低(Poor or Terrible)、中間が20%であった。実に76%の国民がオバマ大統領の仕事ぶりを評価していることになる。しかし、民間企業の救済や膨大な財政投資に対する批判も聞かれる。

なお、保守的な米国人はあまり評価しないが、オバマ大統領がヨーロッパ訪問で、核の廃棄を訴えた演説をしたことが報道された。わが日本の総理からも、すかさずこれを評価し世界で唯一の被爆国として日米共同で核の廃絶を主張するなどの発信を期待したが、残念ながらそれはなかったようだ。

2009年04月20日

先日、小生の事務所で若いビジネス人の勉強会が開かれた。10人程度のグループである。目的は、問題解決、経営問題、意思決定、リスク対応、そして、外交問題、日本の国際社会への貢献、日米間関係と多岐にわたる項目について討議をし、なんらかの知的刺激により自己啓発と具体的なスキルアップを図ることである。

今回はリーダーシップについての討議もなされたが、「優れたリーダーに求められる資質は何か」という質問に対して、その場で明確な回答を示すことができなかった。第一に、このリーダーシップという外来語にどのような日本語をあてたらよいかについて思い悩んだ。結論は出なかった。

国語辞書によるとその定義は、「①指導者としての地位・任務②指導者としての素質・能力・統率力」、となっている。

一方で、私の事務所で働いている中国通で、早稲田大学大学院で国際関係の博士課程に在籍する女性がリーダーの中国語の訳を教えてくれた。1つは、「領導」で、これは多分に英単語の「leader」の音からあてた漢字である。次に「帯頭人」で、人の上に位置するひとという意味。そして3つ目が、「指揮者」であった。広辞苑の指揮者の定義は「①指揮する人・指図する人②特に音楽で、管弦楽・吹奏楽・合唱などの指揮をする人、コンダクター」とある。

日本では、リーダーを指揮者とは言わない。リーダーはリーダーなのである。それで、なんとなく納得するところが日本人の長所であり、また短所でもある。これだけリーダーシップに関する論議があるのだから、是非専門家に、リーダーの定義と日本語にどう訳したらよいかをうかがいたいと思う。

ところで、管弦楽などの「指揮者」が満たすべき条件を考えてみると具体的なイメージがわいてくる。それは、ビシネスのリーダーにも適用できる資質(リーダーシップ)なのかもしれない。独善的かもしれないが以下にまとめてみる。

①自分が演奏できる楽器を持っている。― 自身の専門分野を持つ。

②楽団員の集中した注目を集めることができる。― 尊敬と相互信頼。全体の把握力。

③自分が知らない新しい曲を指導できる。― どのような状況でも問題解決ができる。

④柔軟に一致団結した演奏を指導する。― 目的に向けた統率力。

⑤同じ演奏者で新しい音楽を創る。― 挑戦力・創造力・リスクテイキング。

⑥聴衆を魅了する。― 感動を与える。相手をして意識の高揚が図れる。

⑦何が起きても演奏は中断できない。― 持続性と目的達成への執念。

⑧演奏終了時に盛大な拍手を受ける。― 目的を達成した満足感の共有。

世界的な指揮者であるマエストロ小沢征爾はこの条件を世界的な次元で満たしている。

2009年04月15日

コミュニケーションの強化をする場合に、避けて通れないことがある。それは、われわれが使う言葉を定義することではないだろうか。これをしないと、意思疎通の齟齬が起こり、感情論になったり、分析業務が混乱したりする。

例えば、「目的」、「ゴール」、「目標」、「オブジェクティブ」などの言葉をどう定義し、使い分けるのか。また、「意思決定」と「優先順位付け」は、どう違うのか。「問題解決」と「意思決定」はどう違うのか。「問題」と「課題」をどのように扱うのか。枚挙に暇がない。

今回は、「問題」をどう定義するかについて考えてみたい。私の恩師であり、友人のC.H.ケプナーさんは、1958年に「問題」の定義をしている。

それによると、「問題」とは、「過去に起きたトラブル現象や不具合のこと」であり、概念的には『「あるべき姿」と「現実」の間の差異・ギャップが発生している状態』としている。

しかし、私は最近、この定義を拡大解釈してもよいのではないかと、考えている。「過去に起きた差異」だけでなく、「現在」、意思決定がなされていなければならないという「あるべき姿」に対して、それができていないという「現実」。また、「将来」のリスクに対してヌケなくモレなく対策が講じられていなければならないという「あるべき姿」に対して、それがなされていない「現実」。これらの差異・ギャップも、問題の範疇に入れていいと思っている。

言い換えれば、過去の問題は原因究明、現在の問題は意思決定、将来の問題はリスク対応と、整理をしてもいいだろう。過去の問題について言えば、3つある。発生問題(クレームや工場の不具合など)、発掘問題(社員の不満など)、創出問題(生産性向上、1人当たりの売上げ増大など)である。現在の問題は、「複数の選択肢から最適案を選ぶという状況」、「課題設定」などが含まれる。将来問題は、主に問題を発生させないための予防対策(1次対策)と、発生した場合の影響を最小化する発生時対策(2次対策、コンティンジェンシー)に分類できる。

このように定義することで、コミュニケーションは飛躍的にスムーズになる。ぜひ心得ていただきたい。

2009年04月07日

米国発の金融危機では、経営者の姿勢というものが改めて問われている。巨大な金融機関のトップや幹部が巨額の報酬を得ていることが問題となった。公的資金を受けているにも関わらず、その裏ではしっかりと自分たちの懐を潤わせる。その強欲な姿には、米国民のみならず、世界中の人々が、懐疑の目を向けた。

現在はその矛先が米国の誇りでもある自動車メーカーのトップに向かっている。移動でのジェット機の使用を取りやめたり、自身の報酬を大幅にカットしたりして、トップはその火消しに躍起になっている。最近では、退職後に莫大な年金をもらうことが明るみとなり、最終的に払うのかどうかにも衆目が集まっている。

これらは元をただせば、企業があまりにも「儲ける」ことに貪欲になった結果ということができる。つまり、あらゆる手段を用いてとにかく利益を上げることだけを考え、それに伴い、報酬が上がるシステムを作り、会社にも経営者や幹部にも、お金が怒涛の如く流れ込んでくるような仕組みを構築した。手段は、倫理的に問題があるものでも、それが「儲ける」ことにつながるのであれば、先を争うように採用していく。ついには度が過ぎ、抑制が利かなくなり、今回のような崩壊となった。多くの関係者が、こぞって英語で言う“greed”になってしまったのだろう。

ここで、思い出すのが、リコーの創業者である市村清さんが常々言っていた言葉である。それは、「『儲ける』ことではなくて、自然に『儲かる』ような仕事に手をつけるべきだ」というものである。

市村さんは、敗戦後間もないころ、明治神宮の宮司から、「神宮関係者が食べていけなくて困っている」と相談を受けた。そこで、「戦争で結婚できなかった方たちも多い。厳粛で簡素な結婚式場を経営されてみてはどうか」と助言し、自らが明治記念館を創立した。それは、敗戦で自信と希望を失った国民が多い中、日本が栄えた明治時代の象徴である明治神宮と大衆を結びつけることで、国民に奮起を促そうという想いを込めた事業でもあった。

こんなもったいぶったところで、式を挙げる人はほとんどいないだろう。そう、赤字覚悟で始めた事業。しかし、ふたを開けてみると、利用者が押し寄せ、開業早々黒字となったそうだ。そこで、市村さんは考える。自分が若い頃一生懸命儲けようと思ってやった仕事は、なかなか儲からない。だが、「儲けよう」というケチな考えからではなく、多くの人々の人生を祝福したい、国民に元気になってほしいという心意気から始めた明治神宮が逆に「儲かる」。つまり、「儲ける」のではなく、「儲かる」、「け」ではなく「か」を考えることが、商売の王道であると市村さんは悟ったのである。

振り返れば、米国もプロテスタンティズムを重んじていた国であり、元々は、勤勉、清廉などを規範としていた。だが、いつしか「け」に走る傾向が強くなり、それが今回の事態を招いた。今こそ「か」からの発想で、ビジネスの本質を追求したいものである。