飯久保廣嗣 Blog

私の知人に中国語のエキスパートがいる。彼女は早稲田の大学院で博士課程に在籍しながら、若くして北京大学から「環境マネジメント」について中国語で教える常勤講師として招聘された。おそらく北京大学の日本人の常勤講師は前例がないのではないだろうか。

その彼女との雑談の中で、中国語は単数形と複数形を明確に区別しているということを知り、これは私の中では一大発見となった。今までは先入観で中国語は日本語と同じように単数形、複数形を区別しない言語だと思っていた。しかし、実態は違っていた。これが意味するところは、中国語が、国際語である英語との共通性があり、日本の伝統的思考様式とは一線を画するということである。

もう少し詳しく説明すると、中国語の文法は、日本語のように「主語が不明確」、「動詞が最後につく」という形式とは違い、英語と同じ形式(主語+動詞+目的語)である。その上に、さらに、単数形と複数形を区別するという共通項も持っているのである。

このことは、日本人の国際コミュニケーションにどのようなインパクトを与えるのだろうか。

我々日本人は複数形の概念を意識することが希薄である。そのため、「優先順位の概念を使いこなせていない」、「意思決定という概念において、複数選択肢から最適案を選ぶという明確な解釈がない」、「物事の目的を考える場合、どうしても単数形になり、副次的な目的を考えない」など、国際的な問題解決の場面に参画できない思考様式を持ち合わせてしまっている。

一方、中国語は、国際語である英語や西洋の思考様式と類似している。つまり、日本人はこのままでは、日米中の経済大国の中で、基本的なものの考え方で孤立する危険があるということだ。このことは私にとって大きなショックだった。それと同時に、日本人の思考様式をより合理的なものにするための活動に、ますますまい進しなければと思った。

それでなくても、中国の人たちは、アグレッシブであり、自己主張力があり、議論が大好きで、しかも考え方が合理的である。このことは、米国の特徴と一致する。ことの良し悪しは別にして、これは日本社会全体の問題として捉える必要があるのではないか。