飯久保廣嗣 Blog

また総選挙がやってきた。しかし、重要案件にも関わらず、意外に国民の関心はそれほど高くないのではないか。理由はいくつもあろうが、筆者なりに大きく2つに分けて述べることにする。

1つは、政治家や政党がこの国難のときに、どのような国にするのか、国際社会でどのような位置付けの国にするのか、といった国家の根幹に関わる論議をしていないことである。マニュフェストなどといってカタカナ日本語で誤魔化しているが、そのカタカナ日本語の中身からは、その本質がスッポリと抜け落ちている。それは、元総理がいった「美しい国」といった表現では話にならない。日本の国のあり方を問われ、「美しい国を目指します」といって、国際社会がまともの付き合ってくれるだろうか。今の民主党の党首の「友愛社会」もあまりに現実離れしている。国際社会では「?」となり、バカにされるだけだ。

そして、「公約」といえばいいのに、なぜ「マニフェスト」というわけの分らない言葉を使うのか知らないが、各党が出しているマニフェストのほとんどが「手段」であり、その結果何を目指すのか、「目的」がおざなりになっていることも問題である。例えば、民主党の「子ども手当・出産支援(年額31.2万円)」、「高速道路の無料化」、「暫定税率の廃止」もすべて手段である。自民党の「国会議員数の削減」、「3~5歳児の教育費用の無償化」も同じだ。つまり、聞こえばかりよくて、何のための政策かの「何のため」が不明確なのだ。

またこれらの「公約」は選挙のための「たわごと」であることを国民はよく知っている。その証拠に、選挙を控えて公約を慌ててまとめている。そんな公約を信じろというのは無理な話だ。本来、公約とは、時間をかけて形成し、それを勉強し熟知した候補者が国民に掲げるものではないのか。国民は、当選すること・させることを「目的」と考える候補者や政党に落胆している。

政治家のメルマガやブログも、まるで理念や自分の考えがないものがほとんど。内容は外国で誰と会談したとか、国会のどの委員会の理事に就任したとか、おおよそ、国民にとってどうでもいいことばかりだ。そこに国のビジョンや己のミッションに関する気概のある議論や言葉は見当たらない。

さて、2つ目は、候補者の素性が不明確であることだ。選挙とは、当たり前のことだが、複数の候補者の中から国政を任せるのにふさわしい人物を選ぶ行為である。ところが、選ぶために必要な候補者の素性を知るための情報がない。

我々は就職の面談に行くときに必ず履歴書を持参する。それは採用する側に、自分の素性を知らせ、会社の一員としてふさわしいかどうかを判断する基準にしてもらうためだ。採用する側(国民)に求職者(候補者)がきちっとした履歴書も開示せずに選べとは、いったいどういう神経をしているのか、疑ってしまう。

就職の面接では、経歴に空白があったりすると、その理由を問われる。空白が長いとその人の信用に関わる。国民はそこも1つの物差しとして、判断したいと思っている。このような当たり前のことが無視されているのだから、国民が政治に関心を持たなくなるのも当然といえよう。

もし、このような状態で投票率が高くなったら、それは選挙そのもののクオリティに問題があるといわざるを得ない。選挙で投票することは「義務」ではあるが、同時に、我々の代表を選出するという「権利」でもあるのだ。素性がよくわからない人たちを選び、国会で国の経営をさせることへの負のインパクトを考えたい。

なお、筆者は今度の選挙は投票には行くが、「候補者に関する情報が少ないので選べません」と書くことにする。無論、無効票になる。だが、国政によく知らない人を選ぶことほど、国民として無責任なことはない。政治家の方々にお願いしたい。選挙制度を何とかしてください。