最近気になる現象の1つが、社会を活性化するためにむやみに起業家の出現を奨励する機運があることだ。もちろん起業自体は否定されるものではない。しかし、問題は起業することが目的になっていることだ。本来なら、起業は目的を達成するための手段でしかないのではないか。
渋沢栄一や岩崎弥太郎という明治の大先輩は、会社を興すことが目的ではなかったはずである。目的は、日本の近代化を促し、産業を興すことであったと思う。その結果、多くの企業が誕生した。
また、シリコンバレーの起業家たちはわが国の起業家に比べてスケールが違う。例えば、2月24日に新製品発表したブルームエナジーという会社は、電力を生み出す「ブルームボックス」という画期的な電池を開発。米国ならばこの電池2個で1世帯分の電力をまかなえると報道されている。
GEやシーメンス、フィリップスなどの大企業の研究所から生まれたものではなく、ベンチャー企業が世の中に出したものである。インド生まれのCEOは、一攫千金という発想があったにしろ、企業を興すことが目的ではなかっただろう。化石燃料が枯渇する状況下で、どのようにして家庭に対して効率よく電力を供給するかという目的を追求する結果、この会社が起業されたのではないかと思う。
わが国においても起業を志す人々は、社会のニーズに対して新しい創造や価値観を統合するといった視点から起業を考えたらよいと思う。