国民が天下りを認めるということを考えたことがあるだろうか。天下りはすべて悪であると、断定してよいものか疑問に思う。世の中に役立つ人材を活用することは、それなりの意義があるはずだ。そこで申し上げたい。天下りを認める条件として、下記を提言する。
①天下りは1回に限る(俗に言われる「渡り」は徹底的に禁止し、罰則を規定する)
②どの省庁であれ、民間や法人への天下りに対し、法律で年収の上限を決める(例えば、トップクラスでも300万円で十分)
前回は、「国のあり方論」をやめろという、発信をした。しかし、国の将来の方向を考えることをやめろといったわけではない。よく「国の戦略が見えない」といわれる。「国家戦略」という言葉も使い古されたものである。
私は、国家戦略の発想が、内向きになっていることが問題であると考える。国家戦略は、本来、「世界社会に向けた日本の国家プロジェクト」である必要がある。
この国家プロジェクトを形成するためのガイドが必要である。色々な論議はあるが、現時点でその根本は、憲法しかないだろう。
国家プロジェクトを考える場合、現存する第九条を無視するわけにはいかない。九条の本質は、「武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」ということである。我々が自主憲法を制定する場合も、この九条の精神は、唯一の被爆国としての世界に対する日本のメッセージの重要な部分である。異論があるかもしれないが、平和を尊ぶ非西洋国の日本だからこそ、この条文を我々の手で保持することは、それなりの意味があると思う。
さて、国家プロジェクトを形成するための具体的なガイドの例を挙げると、次のようになる。
・非西洋国家で世界が認める高度な文化を持つ。
・相対的にみて平和志向の民族である。
・非西洋国家でGDP世界2位の実績を長期にわたり保持してきた。
・唯一の原爆被爆国である。
・国民の多くは世界社会への貢献を望んでいる。
・1億2千万人の勤勉な国民を持つ。
・戦後の世界に類を見ない経済成長の実績がある。
上記のガイドを参考にして、日本人が共鳴し、情熱を持って、参画できるような国家プロジェクトを皆で考えたいものだ。私の考えはしかるべきときに開示したい。