2010年8月号の『文藝春秋』の新聞紙上広告を見て驚いた。そこに「はやぶさは根性で飛んでくれた」とあるではないか。編集者でさえ、この見出しがいかに非科学的であるかを気がつかなかったのだろうか。科学の粋を集めた宇宙探査機が、根性で飛んだという発想は何を意味をするのだろう。
担当者が、あまりにも喜んだ挙句に、このような言葉が出たのであろう。それはよくわかるが、この見出しを付けた編集者が、いかにもドメスティックな日本的な発想の持ち主であると思ってしまう。
この「根性」をどのように英訳したらいいのだろうか。卑俗の言葉で根性がないことを“no balls”という。ballsが何を意味するかはご想像にお任せする。
それにしても根性で片付けられては、探査機の帰還を真剣に取り組んだエンジニアたちが浮かばれない。それにしても、海外メディアはこのニュースをほとんど取り上げていないのではないか。これが多くを物語っているのではないか。そして、はやぶさⅡに200億以上の予算が付いたとのこと。根性の対価としては少し高すぎるのではないか。