飯久保廣嗣 Blog

それでは、具体的に英会話と論理思考の関係を、意思決定の場面を使って述べてみよう。下記はあくまでも基本的な考え方であり、このことを理解することだけで、英会話が飛躍的に向上するわけではない。若干のヒントになればと考えている。

意思決定のプロセスの定石は、①「何を決めるのか」(決定事項を確定し認識する)、②「その目的は何か」(求められる諸アウトプット)、③「他に方法はないか」(複数選択肢の示唆)、④「まずいことは何か」(選んだ選択肢の副作用)、となる。

①「何を決めるのか」については、例えば、組織の見直しでは、「最適な組織の再編成案を選ぶ」ということになり、また新規事業に関しては、「展開する事業領域を選定する」である。また選ぶという状況でなく、企画立案というテーマもこの範疇に入る。

②「その目的は何か」は、英語でいうオブジェクティブ(objectives)のことであり、例えば、組織の見直しであれば、「組織の生産性向上」、「責任分担をより明確にする」、「環境変化対応を容易にする」、「コミュニケーションを活性化させる」など、複数の項目が挙げられる。

③「他に方法はないか」は、1つの選択肢に短絡した場合、「○○会社の斬新的な組織を導入する」ということになり、これでは、発想の発展性が限定される。この発想を展開するためには、上記②のオブジェクティブをより満たすような、諸組織案を考えることになる。

④「まずいことは何か」は、ある組織案を選定して実施した場合、どのような副作用があるかを、想定することである。例えば、「△△組織案を採用した場合どのようなまずいことがあるか」について、多角的に起こりうる問題を想定し、必要であれば対策を講じていく。

上記のような考え方の段取りを頭に入れて、意思決定の場面に臨むとすれば、全体像が把握できると同時に、自分の発言内容やそのタイミングがおおよそ図れるようになる。このことだけで英会話が上達するわけではなく、反復訓練が必要なことは言うまでもない。

平均的な日本のビジネス人の基礎英語力(読み書き・文法)は、他国に比べて引けをとらないと思う。問題は、この基礎英語力が、コミュニケーションの手段としての英会話に結びついていないことである。

そこで、表題について実践に役立つような発想やヒントを提示したい。英会話の主な目的を大別すると、①よき人間関係をつくるための英会話力②会議などで議論をする場合の英会話力、そして、③グループで問題解決を図るための英会話力、となる。例えば、友人・知人との英会話は①であり、国際会議での議論に参画する際は②であり、国際的な場面での問題解決を進めるときには③となる。

ここでは、上記の②、③について若干の参考となる考え方を述べてみたい。このことは、基礎英語力をどのように生かしていくかということになる。ちなみに、われわれ日本人は、基礎英語力とともに、基礎的な論理力があることを認識しておきたい。この裏付けは、日本人は、技術力や数学・物理分野における能力が高いことということだ。

日本人の問題は、英語にせよ、論理にせよ、目に見える部分では能力を発揮できるが、目に見えない部分が暗算思考になっていることである。別の表現をすれば、問題解決力/意思決定力は一種の名人芸と捉えられている。名人芸は口伝・秘伝の領域であり、効率よく伝承していくことは難しいと思われている。この領域をモザイク社会の米国は共通思考方式の必要性から体系化したと考えている。

このようなことから、われわれの思考様式に体系化された論理思考を取り入れることにより、英会話力の強化につながると私は確信している。

では、なぜ論理思考力を高めると、英会話力が強化されるのか。それは、グローバルのデファクトである「論理思考」を自身の中に構築することで、国際的な場面においてどのような思考手順により議論が展開されているか、その大まかな道筋を読むことができるようになるからである。それによって、現在の英語力に関係なく、発言・発信することがより容易になるのである。

では例えば、意思決定の場面において、どのような思考工程があるのだろか。それは、次回に譲ることとする。

一昔前には、日本を含むアジア5カ国が国際社会における英会話力が劣ると言われていた。それらの国は、日本以外に韓国、中国、タイ、マレーシアである。

ところが、今日では、日本を除いて、他の5カ国は国際社会における英会話力が抜群となり、唯一日本は取り残されてしまった。韓国からは国連事務総長が出ている。中国、タイのテクノクラートの英語力は欧州に比べても引けをとらないレベルである。マレーシアは、元首相のマハティールの英語力が卓越している。なお、元々英語が公用語であるシンガポールは全閣僚の英語力が優れている。

それに対し、日本の実態は悲惨なものである。英会話ビジネスのみが脚光を浴び、レベルはアジアの中でも最低水準だ。この背景はいったい何なのだろうか。以下に挙げてみたい。

・英語教育が読み書き偏重であり、英会話を軽視してきた。
・英会話を教える教師の英会話力が低い。
・大学受験におけて英会話力のテストがない。
・人前で恥をかきたくないという、完ぺき主義。
・いびつな英会話ビジネスの間違った指導。

など枚挙に暇がない。しかし、このほかに言われてないことがある。それは、「英会話と論理思考の関係」である。

今日では、挨拶程度の会話は、なんとかできる水準に達しているが、会議や議論の場において、日本人はどうしても引けをとる傾向がある。その理由として大きいのが、短時間で自分の意見をまとめ、発信する力が弱いことである。

その原因としては、問題から結論に至る考え方の枠組みが整理されていないことが挙げられるだろう。この枠組みが整理され、自分のものになれば、英会話力も自ずと強化することにもつながる。

アジア諸国の飛躍的な英会話力の躍進の背景には、その国のエリートが海外での学習の中で、いわゆるクリティカルシンキング(論理思考力)を身につけ、それを活用することによって、英語による発信力が強化されるという、因果関係があると思われる。

次回は、この論理思考がどのように英会話力の強化に影響を与えるかについて、具体的に述べてみたい。

昨日まで2週間ほど米国に出張した。ご他聞に漏れずGMの工場閉鎖、各社の人員整理などあまり明るい話題はなかった。そして、各地でお目にかかった日本人の友人は、日本の現状を憂い、このままでは日本は米国人の関心外になるだろうという。日本からの発信がないことが大きな原因であろう。

口下手で自己宣伝ができない日本が優れた商品によって発信し、ODA等の経済力で存在感を示してきたが、これからは肩身が狭い思いがしばらく続くことになろう。

ところで、オバマ政権の初めての閣僚会議が発足約100日後やっと開かれた。この閣僚メンバーを見ると、これが本当にアメリカ政府の閣僚メンバーかと、目を疑うほどの陣容だ。全く新しい時代の幕開けである。

閣僚21名の中で、白人(White)の男性は僅か8名の38%しかいないのである。黒人(Black)が男女合わせて4名、東洋(Asia)が3名、メキシコ系(Hispanic)が2名、そして白人女性4名という陣容である。最年長がロバート・ゲイツ国防長官(65)、最年少がスーザン・ライス国連大使(44)である。ちなみに、ガイトナー財務長官は47歳、オバマ大統領は8月に47歳になる。

多民族国家のアメリカであっても、依然白人が多くを占める。いくら、民主主義で選ばれた大統領とはいえこのような閣僚の布陣を引いて、米国の世論はこれをどのように評価するのか関心をもって帰途についた。

帰りの機上で大統領就任100日目の世論調査を目にした。4月24日のUSA TODAY / ギャロップの結果は、56%が最高の評価(Excellent or Good)であり、20%が最低(Poor or Terrible)、中間が20%であった。実に76%の国民がオバマ大統領の仕事ぶりを評価していることになる。しかし、民間企業の救済や膨大な財政投資に対する批判も聞かれる。

なお、保守的な米国人はあまり評価しないが、オバマ大統領がヨーロッパ訪問で、核の廃棄を訴えた演説をしたことが報道された。わが日本の総理からも、すかさずこれを評価し世界で唯一の被爆国として日米共同で核の廃絶を主張するなどの発信を期待したが、残念ながらそれはなかったようだ。

先日、小生の事務所で若いビジネス人の勉強会が開かれた。10人程度のグループである。目的は、問題解決、経営問題、意思決定、リスク対応、そして、外交問題、日本の国際社会への貢献、日米間関係と多岐にわたる項目について討議をし、なんらかの知的刺激により自己啓発と具体的なスキルアップを図ることである。

今回はリーダーシップについての討議もなされたが、「優れたリーダーに求められる資質は何か」という質問に対して、その場で明確な回答を示すことができなかった。第一に、このリーダーシップという外来語にどのような日本語をあてたらよいかについて思い悩んだ。結論は出なかった。

国語辞書によるとその定義は、「①指導者としての地位・任務②指導者としての素質・能力・統率力」、となっている。

一方で、私の事務所で働いている中国通で、早稲田大学大学院で国際関係の博士課程に在籍する女性がリーダーの中国語の訳を教えてくれた。1つは、「領導」で、これは多分に英単語の「leader」の音からあてた漢字である。次に「帯頭人」で、人の上に位置するひとという意味。そして3つ目が、「指揮者」であった。広辞苑の指揮者の定義は「①指揮する人・指図する人②特に音楽で、管弦楽・吹奏楽・合唱などの指揮をする人、コンダクター」とある。

日本では、リーダーを指揮者とは言わない。リーダーはリーダーなのである。それで、なんとなく納得するところが日本人の長所であり、また短所でもある。これだけリーダーシップに関する論議があるのだから、是非専門家に、リーダーの定義と日本語にどう訳したらよいかをうかがいたいと思う。

ところで、管弦楽などの「指揮者」が満たすべき条件を考えてみると具体的なイメージがわいてくる。それは、ビシネスのリーダーにも適用できる資質(リーダーシップ)なのかもしれない。独善的かもしれないが以下にまとめてみる。

①自分が演奏できる楽器を持っている。― 自身の専門分野を持つ。

②楽団員の集中した注目を集めることができる。― 尊敬と相互信頼。全体の把握力。

③自分が知らない新しい曲を指導できる。― どのような状況でも問題解決ができる。

④柔軟に一致団結した演奏を指導する。― 目的に向けた統率力。

⑤同じ演奏者で新しい音楽を創る。― 挑戦力・創造力・リスクテイキング。

⑥聴衆を魅了する。― 感動を与える。相手をして意識の高揚が図れる。

⑦何が起きても演奏は中断できない。― 持続性と目的達成への執念。

⑧演奏終了時に盛大な拍手を受ける。― 目的を達成した満足感の共有。

世界的な指揮者であるマエストロ小沢征爾はこの条件を世界的な次元で満たしている。

コミュニケーションの強化をする場合に、避けて通れないことがある。それは、われわれが使う言葉を定義することではないだろうか。これをしないと、意思疎通の齟齬が起こり、感情論になったり、分析業務が混乱したりする。

例えば、「目的」、「ゴール」、「目標」、「オブジェクティブ」などの言葉をどう定義し、使い分けるのか。また、「意思決定」と「優先順位付け」は、どう違うのか。「問題解決」と「意思決定」はどう違うのか。「問題」と「課題」をどのように扱うのか。枚挙に暇がない。

今回は、「問題」をどう定義するかについて考えてみたい。私の恩師であり、友人のC.H.ケプナーさんは、1958年に「問題」の定義をしている。

それによると、「問題」とは、「過去に起きたトラブル現象や不具合のこと」であり、概念的には『「あるべき姿」と「現実」の間の差異・ギャップが発生している状態』としている。

しかし、私は最近、この定義を拡大解釈してもよいのではないかと、考えている。「過去に起きた差異」だけでなく、「現在」、意思決定がなされていなければならないという「あるべき姿」に対して、それができていないという「現実」。また、「将来」のリスクに対してヌケなくモレなく対策が講じられていなければならないという「あるべき姿」に対して、それがなされていない「現実」。これらの差異・ギャップも、問題の範疇に入れていいと思っている。

言い換えれば、過去の問題は原因究明、現在の問題は意思決定、将来の問題はリスク対応と、整理をしてもいいだろう。過去の問題について言えば、3つある。発生問題(クレームや工場の不具合など)、発掘問題(社員の不満など)、創出問題(生産性向上、1人当たりの売上げ増大など)である。現在の問題は、「複数の選択肢から最適案を選ぶという状況」、「課題設定」などが含まれる。将来問題は、主に問題を発生させないための予防対策(1次対策)と、発生した場合の影響を最小化する発生時対策(2次対策、コンティンジェンシー)に分類できる。

このように定義することで、コミュニケーションは飛躍的にスムーズになる。ぜひ心得ていただきたい。