飯久保廣嗣 Blog

最近気になる出来事

2008年1月6日(日)に、自宅で新聞の朝刊を読んでいた。日本経済新聞と産経新聞である。それら2紙を読んでいて、平穏な日曜日の昼下がりにくつろいでいた気分が一気に吹き飛ぶような、驚くべきことを発見した。

2紙は、駐リトアニア領事代理だった杉浦千畝に関する聞き取り調査の報告書がまとまったという内容を報道していた。しかし、信じられないことに、それらの記事は見出しこそ異なっていたものの、本文は一字一句同じものだったのである。これはどちらかの新聞が盗作したのか、または、同じ記者が書いたのか。そんな素朴な疑問さえ浮かんできた。「大手の新聞に限ってそんなことがあるはずない」と思う人は、どうぞ図書館で2紙のバックナンバーなり、数ヵ月後に出る縮刷版なりで確認して頂きたい。

この事実を、新聞の購読を楽しみにしている私のような読者はどう解釈したらよいのだろう。記事は通信社が配信したものなのかもしれない。だが、それなら配信元の通信社名の記述があってしかるべきであるが、それは全く見当たらない。このようなことが現実に起きた原因と背景について、説明を求めることは、読者の権利であり、義務ではなかろうか。

新年明けましておめでとうございます。今年最初のテーマは日本人の国際化や、日常の判断業務の効率化に不可欠な「質問」について、取り上げます。

物事を辞書などで調べる機会の多い方は、気づいているかもしれませんが、不思議なことに、西洋の概念を和製化した言葉には特徴があります。それは言葉自体が掲載されていないか、載っていてもその解釈が極端に短くなっているということです。

例えば、“decision making”という西洋の概念は、「意思決定」という大和言葉に置き換えられていますが、広辞苑(多少古いものですが……)では、その言葉すら見当たりません。一方、インターネットの辞書によると、「ある目標を達成するために、複数の選択可能な代替的手段の中から最適なものを選ぶこと」と、あります。一見、的を得た定義に見えますが、言葉が持つ奥深さを鑑みると、内容的に物足りないというのが正直なところです。

また、“problem”という言葉には「問題」という言葉が当てられています。これはさすがに広辞苑に載っていますが、その定義は「問いかけて答えをさせる題」「研究論議して解決すべき事柄」、「争論の材料となる事件」、「解答を要する問」と、これも内容的に貧弱と言わざるを得ません。

そして、解釈の短さは“question”、すなわち「質問」という言葉で顕著となります。広辞苑もインターネットの辞書でも、「疑問点やわからない点を問いただすこと」といった、実に簡単な定義で片付けられています。「質問」という言葉や行為を「軽んじている」といっても過言ではないでしょう。

個人や組織の活動は、意思決定や問題解決の連続です。それを進める上で、情報が重要なことは今さら述べるまでもありません。では、情報を得るためにはどのような手段が考えられるでしょうか。それは、「質問」という行為が大きなウェイトを占めることになります。

プライベートでもビジネスシーンでも、「質問」をすることによって、「問題や課題」、「根拠」、「リスク」、「複数の選択肢」、「優先順位付け」に関する数々の「情報」を得ることができ、意思決定や問題解決につながる道筋を組み立てることができるわけです。

日本の文化には、「問う」という概念はあります。しかし、主に「罪を問いただす、詰問する」(広辞苑)、「その人に罪・責任があるとしてきびしく責める」(インターネットの辞書)といった、判断をする際の「情報を得る行為」とは別次元のネガティブなニュアンスが目立ちます。さらに、「問う」に関連した熟語では、「疑問」、「設問」、「質問」のほかに、「喚問」、「尋問」「詰問」、そして、「拷問」など、人を追い込むようなイメージの言葉が少なくない。その結果日本人は、「質問をする」、「問いかける」という重要な発想と行為を、遠慮したり、躊躇したり、挙句の果てには軽んじるという独特のカルチャーが根付いてしまったといえます。

小泉元首相の下で特殊法人の改革に政府は取り組んだ。残念なことに、結果的には看板を「独立法人」と書き換えただけで、実態はあまり変わらなかった。そこで、政府の任命により渡辺喜美担当大臣の出番となったが、永田町からも霞ヶ関からも孤立しているという。

これまでの発想の延長線上では、解決策は見出すのは難しいのではないか。つまり、独立法人の主務官庁に対し、通り一遍に「廃止」や「統合」の申請を求めるという姿勢・発想ではゼロ回答に近い結果が出るのは至極当然のことなのである。

発想を変えて、渡辺担当大臣は統廃合する独立法人を選んだ後に、主務官庁に次のように指示してはどうだろうか。

■○○省管轄の△△独立法人を仮に廃止した場合を想定し、次の項目に対し分析結果を報告せよ。
 ①もし廃止する場合、どのようなスケジュールが考えられるか
 ②そのスケジュールで、大きな問題が発生する可能性があるポイントを複数明確化せよ
 ③そのポイントにおいて、どのような問題現象が発生するかを可能な限り多く想定せよ
 ④それらの問題項目を精査し、絞り込むための判断基準を策定せよ
 ⑤絞り込んだ問題現象の発生諸原因を明確にせよ
 ⑥それらの諸原因に対し対策を打つとすれば、どの程度の予算が必要か
 ⑦諸原因への対策が機能しなかった場合、事態を収束するための対策と費用を想定せよ
 ⑧上記をまとめて報告するのにどのくらいの時間がかかるかを明確にせよ

12月10日の米メディアの報道によると、名門のニューヨーク・フィルハーモニック交響楽団が、2008年2月に総勢250名の陣容で北朝鮮を訪問し、公演することが決まったそうである。

一般的な国際親善、国際相互理解の観点から見れば、これは大変結構なことである。しかし、拉致問題(誘惑犯罪)が未解決の日朝・朝日関係における日本の立場を考えると、手放しで賛辞を送るわけにはいかない。

米ホワイトハウスが、日本や日本人の立場を軽視し感情を逆撫でするような決定を、日本との協議なしに下したのであれば、日米同盟の一方の当事国の行動として、問題があると言えるのではないか。

また、もし日本側に事前の協議があったのであれば、日本の政府関係者がメディアに事前に発表し、遺憾の意を表明するべきであっただろう。これが対等な関係を維持するための基本的な対応ではないか。

健全で友好的な同盟関係には、対立と緊張も時には必要であることを認識したいものだ。また、その実態を情報収集・分析し、国民に開示するのが、メディアの役割のひとつである。

対策・措置という表現は、一般的によく使われている言葉です。問題が発生すると、何らかの対策を講じなければ解決に結びつかないことから、やたらに「対策を打て!」と叫ぶ場面が数多く見られます。

ここで、基本的に整理をしなければならないのは、「過去に起きた現象への対策」なのか、「将来起こりうるかもしれない問題への対策なのか」ということです。

過去に起きた現象とは、例えば、家庭においては「子供の成績が下がってきた」ということ。また、地域社会では、「住民同士の対立を解消しなければならない」、企業でいえば、「売上目標が達成できない」、「市場クレームが発生した」、国家でいえば、「税金の使い方に無駄が生じている」、「日中、日韓の間に問題が発生した」など。こうしたいろいろなレベルの問題に対応するための対策が必要となります。

過去に起きた現象に対しては、発生原因を究明することから始まり、最終的に解決のための対策を立案することになります。ここで考えたいことは、「どのような目的を念頭に対策を講じるか」を意識することです。これによって対策の精度や効果が左右されます。

目的は大きく3つに分けられます。「①発生している状況を拡大させないための対策」、「②発生原因を取り除くための対策」、「③発生原因を取り除く対策が現実的でない場合に、その状況に応じた対策」となります。

子供の成績を例にとれば、①の対策では、「学校を休ませないようにアドバイスし、支援する」、②では、「まず成績という抽象的な捉え方から、どの科目が悪いかを明らかにし、それが数学であればその実態を把握して、仮に他の科目に比べて予習が足りないということであれば、予習を促進するための方策を考える」ということになり、③では、「苦手な数学をあきらめて、他の国語や歴史などの得意そうな科目の成績アップに注力する」ということになります。

①は、「暫定対策」――発生する状況の被害の拡大を防ぐための対策
②は、「抜本対策」――問題の発生原因を排除するための対策
③は、「適応対策」――原因が明確だが除去できない場合の対策
となります。こうして過去に起きた現象に対する対策は整理し、現在の状況を見て、どれが最も効果的な対策かを考え、場合によっては、複数を同時並行で講ずる必要があります。

1ヶ月ほど前にCNNのニュースの中で、「EU首脳は、中国からの貿易量の激増により、大幅な貿易赤字が発生していることに対し、『問題解決』を図る必要があると認識している」と、報道していた。日本のメディアや政治・行政では最近めったに聞かれない「問題解決」という表現を、EUの首脳が使っていることに、今更ながら新鮮な印象を受けた。

思い起こせば、日本では従来から「問題解決」という概念は、狭義な使われ方をしていた。例えば、「メーカーにおける不良品発生に対しての問題解決」というように、製造の現場で使われ、その域を出ていなかった。

しかし、ソニーの創業者のひとりである盛田昭夫会長は、経営や国家間の問題にも、その概念を適応すべきと考えられてようだ。そのひとつが、“プロブレムソルビング”という概念の提唱である。つまり、企業の役員や管理職、行政の局長や大臣は、「問題解決者でなければならない」という発想を持っておられた。

ところで、製造現場以外における問題解決は、日本では「政治的決着」、「政治的解決」という手法が大半を占めているのではないか。製造現場における現象については、合理的に分析し解決に結びつけるものの、政治や経済、社会の問題に対しては、分析的アプローチを重要視せず、個人の決断に近い形で解決する場合が多いように思える。